ボンドカーとアストンマーティン「ゴールドフィンガー・エイジ」

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フレミングがボンドカーにアストンマーティンを選んだ理由を推測するには、"DB"時代について繙く必要があるだろう。
 
"DB"とは、よく知られているように、1947年2月にアストンマーティン社を買収したサー・デイヴィド・ブラウンのイニシャルである。
 
アストンマーティンの歩みは、1905年、ロバート・バムフォードとライオネル・マーティンのふたりが知り合ったことに始まる。ふたりは、1908年製イソッタ・フラスキーニのシャシーを使ったスペシャルを製作すると、アストンマーティンと命名した。アストンとは、イングランド南東部に広がる丘陵地帯のアストン・クリントン近くで繰り広げられた有名なヒルクライムに由来した。1913年には、ふたりはバムフォード・アンド・マーティン・リミテッドを設立したが、長くは続かず、1922年にはマーティンがバムフォードの持ち株を買い上げて独立した。
 
だが、経営は安泰ではなく、同社は常に資金難と倒産の危機に瀕し、出資者の間を転々とすることになる。
 
そうした環境の中でも、ヴェルテリ設計の優れたSOHC1.5リッターエンジンを得たことで、ル・マンやTTレースで好成績を上げるという、英国を代表する小型スポーツカーメーカーとしての地位を確立した。たが、それでもなお会社の経営は安定せず、1947年のある日、アストンマーティン社のオーナーであったサザーランド家は、『The Times』紙に会社の買い手を求める広告を掲載した。
 
これに興味を示したのが、変速機製造会社ほか企業グループ当主のサー・デイヴィド・ブラウンであった。ブラウンは1947年2月、瀕死状態のアストンマーティンを2万500ポンドで買収すると、翌1948年にはラゴンダ社を買収(5万2500ポンド)し、アストンマーティン・ラゴンダ・リミテッドを設立した。

1906年にアメリカ出身のウィルバー・ガンが設立したラゴンダは、高品質なグランドトゥアラーとタフなスポーツカーを製作するメーカーとして知られていた。1931年に経営難に喘いでいたベントレー・モーターズがロールス・ロイスに買収されてからは、裕福なモータードライバーにとって直列6気筒の4 1/2リッターエンジンを搭載したラゴンダは理想的な選択肢であった。また、1937年にはW.O.ベントレー設計のV型12気筒4.5リッターを搭載したラゴンダV12が誕生、ロールス・ロイスの市場へも販路を伸ばした。だが、ラゴンダも戦後になって深刻な経営難に瀕し、サー・デイヴィド・ブラウンの傘下に入ったのである。
 

文:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Words:Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.)

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