「ゴールドフィンガー」への道│007シリーズに多大な影響を与えたアストンマーティンの1台とは?

Photography: Charlie Magee

ここに紹介する1955年アストンマーティンDB2/4の初代オーナーは、"007"の著者として知られるイアン・フレミングだ。さまざまな改造が施されたこのアストンは、彼の著作に大きな影響を与えたといわれている。オクタンはそのDB2/4に乗って、フレミングの作品に縁ある場所を訪ねることにした。

ロンドンを出ると、ロチェスターからの丘を抜ける細く長い登りへと続く。この丘をDB2/4はトップギアで力強く駆け抜けた。この伝説的なアストンマーティンでイアン・フレミングが『ゴールドフィンガー』で描いた様々な場所へ旅するという趣向だが、その旅のあいだ、私たちは絶えず直列6気筒の感動的な咆哮に包まれ、周囲を走る退屈な車のノイズはかき消された。



ジェームズ・ボンドの世界はすべてフィクションだが、それは現実の陰謀に端を発し、フレミングはこのDB2/4の魅力を知るやいなや、ボンドの愛車にアストンを選んだといわれている。

私が丘の頂上に着いた時、この道をたった数マイル行ったところで、ボンドが40mph(約65km/h)で道路の真ん中を走る水色のフォード・ポピュラーに追いついたシーンを思い出した。ボンドはホーンボタンを何度も叩くが、水色のフォードが道を譲らないことから、カーブのインから抜き去った。その時、ボンドは初めてオーリック・ゴールドフィンガーの子分であるオッドジョブの姿を見るという筋書きだ。映画『007』では、当時の最新型であるDB5に置き換えられているが、原作ではボンドはDBMk.IIIを運転していた。それはDB2/4の後継モデルで、原作本の発行前に発売された。

元イアン・フレミングのDB2/4

この車の文学における重要性が明るみに出たのは、1年半前にケント州のジョンとダンのウォルフォード親子が、偶然にDB2/4の販売広告をインターネットで見つけた時だった。二人はすでにアストンマーティンのレストアを経験しており、1970年からこの車が置かれていたバークシャー州の農場へと見分に行くことにした。それは、どこにでもある錆びたDB2/4だったが、DB2/4を買い取ってレストアを始めると、そのヒストリーが明らかになった。

航空機とレースカーの熟練したエンジニアであるダンが車を分解し、工具製作者でエンスージアストのジョンがパーツを修復していった。最初の目立った発見は、入念な雑音防止処理を施したイグニッションシステムだった。ダッシュボードの奥にはグローブボックスに加工して無線機用のスピーカーが2基、さらにダッシュボードにはラリー用計測機器のハルダ・スピードパイロットが備えられていた。これ以外にも、強化されたスティールバンパー(元々のオーナーが参加していたとされるラリーで、窪みからの脱出を容易にするためだろう)、隠し小物入れ、フロントシート間のアームレスト内のデュアルコンパートメント、また、小型ながら万能なツールキットさえも備えていた。



これらの特別な装備は、映画に登場したDB5に装備されていた、脱出装置付きシートやバンパー内蔵式マシンガン、タイヤスラッシャーほどではないが、無線機やハルダを駆使すれば、機能的なナビゲーションシステムを得たも同然だ。映画でボンドカーのDB5に装備されたコンソール内蔵スクリーンよりも役立つだろう。ピストルを隠す場所もある。

その一方で、ジョンはこの車のヒストリーを調べていった。それによると、1955年の7月4日にフィリップ・イングラム・カンリフ・リスター少佐に納車されている。少佐はウィンストン・チャーチルの側近であり、第二次世界大戦中の保安部隊のセキュリティ・エグゼクティブ部隊長として、海軍情報部に属していたイアン・フレミングの上官でもあった。

ジョンはまた、このDB2/4がケント州のイアン・フレミング家の近所を定期的に訪れていたことも発見した。ここは、007映画『ムーンレイカー』の登場人物であるヒューゴ・ドラックス卿の住居の元になった。ウォルフォード親子は、彼らのDB2/4が『ゴールドフィンガー』でフレミングが描いたそのものであるかも知れないと思い始めた。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.)  Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:東屋 彦丸 Translation: Hicomaru AZUMAYA Words: David Barzilay 

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