イギリスにフェラーリを広めた「ロニー大佐」跳ね馬に夢中になったきっかけとは?

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イギリスにフェラーリを広めた"ロニー大佐"。現在イギリスはフェラーリにとって最重要マーケットのひとつだ。そこに至るすべての発端は、あるメルセデス・ベンツ300SLロードスターの欠陥にあった。1958年にこの車を購入した人物こそ、ボーンマスでフォード代理店を共同経営していたスリムでハンサムなロナルド・ホーアだ。

ホーアが300SLを売り払おうと考えていたちょうどそのとき、友人のレーシングドライバー、トミー・ソップウィズが、所有するグレーのフェラーリが気に入らないと話した。そこでホーアは、300SLの後釜にその250 GTを購入。ソップウィズが見落としていたプラグコードの不具合を見つけて直すと、たちまちフェラーリに夢中になった。
 
その頃、フェラーリのイギリス進出は、輸入を請け負っていたマイク・ホーソーンの死によって頓挫していた。そこでホーアはエンツォ・フェラーリに接触。不動産王のハリー・ハイアムズなどの知り合いに年間4台は販売できると約束し、代理店業務を引き継いだ。1960年7月からしばらくの間は、ボーンマスの代理店でアングリアやゾディアックと並べてフェラーリを販売していたが、1966年に移転を決意。サリー州エガムにあるアールデコ様式の元ガソリンスタンドを改装して、マラネロ・コンセッショネアーズを開業した。
 
エンツォは、この粋な新しい取引相手を気に入った。というのも、ホーアもまたレースを愛していたからだ。ホーアはイギリスの格式ある銀行家一族の出で、1955年に42歳で英国陸軍砲兵隊を除隊すると、MGやXK120でレースに励んでいた。おかげで、盛り上がりつつあったイギリスのレースシーンで"大佐"を知らない者はいなかったのである。マラネロ・コンセッショネアーズは、1962年に独自のチームを立ち上げた。それから10年間で92のレースに参戦し、総合優勝24回、2位15回、クラス優勝27回という成績を収めている。250 GT SWBで戦ったスタードライバーのマーク・パークスは広く尊敬を集め、サーティースやヒルなどの有名どころが250GTOを駆って、ル・マンをはじめとするヨーロッパ中のレースで活躍した。
 
ホーアは1987年に事業を売却し、1989年に亡くなった。やり手のビジネスマンである反面、美食家でもあり、趣味もパワーボートレースから鉄道模型まで幅広かった。鉄道模型のジオラマはあまりに大きかったため、それを収める建物をドーセットに建てたほどだった。

Words: Massimo Delbò

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