ベントレー、いやヨーロッパの自動車の歴史において「MULLINER(マリナー)」は特別な響きをもつ。それはイギリス特有の美意識を根底にしたすべての価値基準とも強くシンクロするところだ。現代的なイギリス紳士のライフスタイルが手に入るショップ「ヴァルカナイズ・ロンドン」の代表、田窪寿保氏に寄稿していただいた。
「どんな車に乗っていらっしゃるのですか?」素敵なジェントルマンに出会うと、不躾ながら、ついこのような質問をする癖が私にはある。さて一体どんな回答を私は期待しているのだろうか。この人ならば、きっと素敵な車に乗っているに違いないと思える人は多い。服装や芸術のセンスに優れ、知的でありながら、スポーツマンで友人も多く、一目で成功者としての自信と余裕が感じられる気品ある人だ。だが大変失礼ながら、ほとんどの方が私の期待に反して、ドイツの高級車メーカーの名前を挙げられる方が多い。ジェントルマンを見極めるには彼の本棚を見れば良い、とはイギリスでよく言われる格言だが、乗っている車を見ればその人がわかるのではないかと私は思っている。
「マリナーに乗っているんですよ」これが私の期待する最上の回答の一つである。マリナー、ご存知だろうか。車好きと称する方はもちろん、名前は聞いたことがあるがよく知らないという方も、よくあるチューニングブランドと一緒にしてもらっては困る。マリナーとは、単なるベントレーの特別モデルではない。ベントレーより長い歴史を誇り、ただでさえ後光を放つベントレーをより輝かせる、とっておきのリーサルウェポンなのだ。
あらゆる要素を手作業で作り込んだ特別な一台。とはいえ派手な演出は一切ない。ただし、専用デザインのダブルダイヤモンド サイドベント(マリナー ブランドネーム入り)とマリナー 22インチホイール ( セルフレベリングバッジ付き) がその存在を強烈に主張する。英国貴族の子女がヨーロッパへのグランドツアーを楽しんでいた1760年、フランシス・マリナーが創業した馬車製造(コーチビルダー)のスペシャリストがマリナー社である。まるで芸術品のようにハイセンスな車両は、これまでに多くの人たちを魅了し続けてきた。ベントレーの傘下に入った現代でも、こだわり抜かれた熟練のクラフツマンシップによる美しいディテールを通して、その歴史と伝統を静かに伝えてくれている。最大の特徴は、クラシックでありながらアバンギャルドという独特なセンスであり、とても英国らしいデザインや品質であるのだが、その価値を理解できない人にとっては、よくわからないかもしれない。だがこの一瞥しただけではわからない「わかりづらさ」こそ、英国的なジェントルマン文化の本質を最も表していると言ったら驚かれるであろうか。
ドアを開けるとマリナー ウェルカムランプ &イルミネーテッド ドアシルが足元を照らし、イグニションをオンにした時にのみ現れる、マリナーの文字がさり気ない優越感を感じさせる。 ステルス・ウェルス(富はひけらかさずに気付かれないようにすること)というイギリスの言葉がある。これはジェントルマンにとって、いかにアンダーステイトメント(控えめな態度)が大切であるかを物語る言葉だ。英国ダンディズムの祖と称された伊達者、ボー・ブランメルは、「ジェントルマンたるもの、すれ違いざまに振り返って見られるような服装をしてはいけない」と述べている。人目につかないところでさりげなく自分を主張することこそが英国紳士の伊達なのだ。
専用の車載クロックにも「for MULLINER 」の文字。実はデジタルメーターのデザインはこの時計のデザインを踏襲したもの。センターコンソールも専用のダイヤモンド ミルド テクニカルフィニッシュ仕上げ。例えばネイビーブレザーは、どこで買おうとあまり違いがないと思われる方も多いだろう。そんな一般的なネイビーブレザーを自分好みの仕様にビスポークで仕上げ、体にパーフェクトにフィットさせることこそが究極のお洒落だったりする。誰が見ても単なる紺ブレにしか見えないかもしれない。だがよく見てみると、ちゃんと誂えられた製品の細部には様々なこだわりがあることがわかるだろう。例えば内側の生地を原色系などで派手にするだけでなく、袖口がターンバックカフと呼ばれる折り返し形式になっていたり、襟の裏側には上質なレザーが誂えられていたりなど。これはジェントルマンならではの密かな愉しみである。つまり、こうした自己満足にも近い秘められた贅沢、究極のさりげなさこそがジェントルマンの嗜みであり、美学なのだ。
歪んでいるようにも見える独特のダブルダイヤモンド マトリックスグリルは知る人ぞ知る意匠だ。
キルティングは全体で約400,000ステッチにも及ぶ。ヘッドレストにも特別仕様のロゴを奢る。マリナーとは、いわゆる吊るし(既製品)のベントレーではあきたらず、わかる人にしかわからないストーリーと本質を求める人が乗るべき車であり、その価値を理解する人から称賛を受けるモデルなのである。大切なことは、人からどう見られるかを気にするのではなく、自分がどうありたいか。
本物がわかる大人なジェントルマン諸氏には、本棚と車に少し気を遣っていただきたいものだ。
文:田窪寿保 写真:高柳健 Words:Toshiyasu TAKUBO Photography:Ken TAKAYANAGI
ベントレー コンチネンタル GT マリナーボディサイズ:4880mm×1965mm×1405mm
ホイールベース:2850mm 車両重量:2260kg
エンジン形式:W12気筒ツインターボTSI
排気量:5945cc 駆動形式:アクティブ AWD
変速機:8DCT
最高出力:467(635ps)/ 5,000-6,000rpm
最大トルク:900/ 1,350-4,500rpm
最高速度:333km/h
本体価格:3511万2000円(税込)