International Bugatti Meeting 2024 in Sicily|真のブガッティオーナーのための集い

DeganoDavide

2024年5月19日から25日にかけて、イタリア南部にあるシチリアにてインターナショナル・ブガッティ・ミーティングが開催された。欧米を中心に世界各国から66台もの希少なブガッティが参加し、精悍かつ華やかな祭典となった。



歴史を訪ねて


オクタン読者には釈迦に説法だが、いま一度ブガッティについてふれておきたい。ブガッティの創始者であるエットーレ・ブガッティ(Ettore Arco Isidoro Bugatti)は1881年にイタリア・ミラノの芸術家一族の家系に生まれている。若い頃から多くのエンジン設計にたずさわっており、1909年にはイタリアからドイツ(現フランス領)アルザス地方のモールスハイムに移ると自動車会社を設立、T13ブレシアの生産をはじめた。エットーレの車作りはたとえば材質に軽合金を多用するなど画期的な技術を含んでおり、高性能なだけでなくエンジンやホイール、サスペンション、車体のリベット留めに至るまで“完璧な美しさ”を追求していた。そして自ずとモータースポーツに傾倒していくことになる。

何よりブガッティの名を世界に轟かせたのは1924年から1929年に掛けてのタルガ・フローリオでの5連勝である。その意味でシチリアという地中海最大の島はブガッティにとって常に特別な意味を持っている。タルガ・フローリオ(TargaFlorio)とは1906年から1977年にかけてシチリア島で行われた公道レースで、総走行距離は540キロメートル。国際的なスポーツカーレースとしては最も歴史が古く、2度の中断をはさんで61回開催されているが、その連続優勝を飾ったマシンこそ、今年2024年に100周年を迎えたブガッティ・タイプ35系であった。

1924年にタルガ・フローリオでデビュー初優勝を飾ったブガッティ・タイプ35。シチリア島はブガッティのコミュニティからいまも敬愛を受けている地域であり、タルガ・フローロアの初優勝から100年後にあたる本年2024年、ここシチリア島にてインターナショナル・ブガッティ・ミーティングを開催するとは、何とも粋な主催者の計らいである。

素晴らしい風景と文化遺産と


インターナショナル・ブガッティ・ミーティングは歴史ある催事だ。どうやら1958年以来、さまざまな国のブガッティクラブが交代で開催しており、彼の地を知ることで同志との交流を強めることも大事な目的となっている。

多くの参加者はカターニャ空港に降り立ち、会場となったMIRA Borgo diLuceというゴルフリゾートに連泊することになる。このホテルは郊外にあるので気兼ねなくエンジンサウンドを轟かせて整備をすることができるし、広い屋外スペースやプールサイドも用意されており多用な使い方が可能だ。何より連泊することでゲストは毎日のパッキングから解放されて走りに集中できることが何よりうれしいようである。



スタート前日までに続々と参加するブガッティがホテルに集まってきていた。

日本からは何度もインターナショナル・ブガッティ・ミーティングにエントリーしている竹元氏夫妻が参加していた。

ホテルへのアプローチを走り抜けるフランスから参加していた1927年タイプ 37CP。

ドイツから参加されている1927年タイプ35Aは快走を続ける。

まず5月19日にウェルカムパーティが開催され、翌20日から24日までの5日間で1000km以上を走破するスケジュールが用意された。ブガッティのタイプ 13からタイプ 57までの幅広いラインアップは、並んでいる姿をただ見ているだけでもうっとりする。まるでエットーレ・ブガッティの傑作を鑑賞しているようでワクワクが止まらない。

スタート前日のウェルカムパーティはホテル中庭の屋外施設にして。気候もちょうどよく清々しい雰囲気のなか旧交を温める参加者同士も。

毎日のコースは綿密に計画されたルートばかりであり、いくつかは先人たちの足跡を辿るようなコースも用意されていて素晴らしい。シチリアといえばシラクーザだが、ほかにもノートやマルツァメミなど歴史ある町をドライブしたり、また島のバロック建築や古代の漁村を探索したり、シンプルなルートながら大きな変化を楽しむことができた。

オーストラリアから参加している1931年タイプ 49。4名乗車でいつも皆さん明るい笑顔であった。

ツアーのハイライトのひとつはエトナ山への旅であった。エトナ山はヨーロッパ最大の活火山であり、頂上は3357mとかなり高い。自走で標高1800メートルまで登るとあって、その日だけは参加者もブルゾンを羽織り、シチリアの広大な風景を眺めながら堂々とした火山周りの魅惑的なドライブを満喫した。エトナ山への曲がりくねった道を進み、栗の森、葡萄園、溶岩流を通り抜ける。ヴィンテージ・ブガッティやグランプリレーサー、そして豪華なスポーツカーの行列は気持ちよくエトナ山を登り切り、ゲレンデ斜面にある伝統的なレストランでコーヒーブレイクをとった。そこでは息を呑むような景観を背景に、地元の料理を味わうことができた。



Day2、5月21日にVilla LaLIMONARAというラグジュアリィレストランでランチを摂った。ゆったりとした空間で木漏れ日が心地よい。

シチリア島の中心部に位置するヴァル・ディ・ノートは、バロック建築のシンフォニーであり、過去を物語る石の融合といえる。堂々とした教会、豪華な宮殿、魅力的な広場は人間の創造性を讃えるものであり、ユネスコによって世界遺産として認められている。

シチリア島のイオニア海沿岸に面するマルツァメミにある港。海は美しく食事も美味しい。護岸にほんの30分ほど駐車をしていると満潮でタイヤの一部が海水に潜ってしまった。

そこからマルツァメミまで進み、港でおいしいランチを楽しんだ後、車列がホテルに戻ると特別な夜のプログラムが待っていた。バスで移動したシラクーザでのオープンシアターナイトでは、参加者は屋外型のギリシャ劇場で古典的なギリシャ悲劇を鑑賞し、シチリアのギリシャ的なルーツと2000年以上に及ぶ文化的重要性が披露された。ただし事前知識がなくイタリア語だけでの展開だったので、正直なところよくわからなかったが。

左/ 1933年にわずか4台のみ製造されたブガッティのグランプリマシン、タイプ 59。8気筒エンジンは230馬力を発揮。こんな車を普通に走らせているのは英国から来た優しい紳士だった。右/タイプ 50Ventouxはファクトリーで製造された2ドア4座クーペ。スーパーチャージャー付直列 8気筒を搭載していて見かけよりもずっと速い。

The SicilianBaroqueの面する道に並ぶブガッティ。シチリアがスペイン帝国の一部であった17世紀から18世紀にかけて発展したバロック建築の独特な形式であった。

シチリアは歴史だけでなく、優れたワインの産地としても知られている。

4日目、インターナショナル・ブガッティ・ミーティングの参加者たちは、鮮やかな緑の葡萄園を勇ましく走り抜けた。そこは19世紀末からワイン作りをしており、現在は重要な考古学の史跡でもある。最終日はシチリアの奥地を巡り、地元職人のクラフトワークに刺激を受けたという。ブガッティ愛好家にとって、ブランドの特徴とも言える“細部へのこだわり”は何よりも重要である。熟練した職人の技は、ブガッティと同じように永遠の価値をイメージさせるものなのだろう。5日間、約1000kmのツアー。世界各国から集まったインターナショナル・ブガッティ・ミーティングの参加者は、思う存分に愛車ブガッティの走りを楽しんだに違いない。

英国にあるブガッティ専門の整備レストア会社ジェントリーからは社長のスティーブンさんとお嬢さんほかスタッフがサポート。ブガッティを知り尽くしており作業が速い。

オクタン日本版 Vol.4の表紙を飾ったタイプ57。1935年、ブガッティは翌年のル・マン用として、マグネシウム合金製のスペシャルボディを架装した“エレクトロン・トルペード・コンペティション”を発表したがレースに参戦することなく忽然と消えた、あの車である。2015年に明治神宮でご挨拶をして以来である。

今回の参加車両のなかで最も魅力的に映ったひさえさんとお嬢さんのビオラさんが乗る1924年タイプ 37A。素晴らしい家族の自動車愛が感じられ、そのストーリーだけでも特集を作れそう!あらためてイタリアに伺い取材をさせていただこうと考えている。

生誕100周年を迎え歴史的に重要なタイプ35や、多くのブガッティがシチリアの地に戻ってきた。インターナショナル・ブガッティ・ミーティングのシチリアでの開催は、1920年代タルガ・フローリオにおけるブガッティ35の偉業を思い起こさせるイベントとなった。フェアウェルパーティのドレスコードはホワイト。白壁にブルーのライトアップが施され、各々が白でおしゃれなコーディネートを楽しんだ。

さて2025年春には、日本の九州においてインターナショナル・ブガッティ・ミーティングの開催が計画されている。クラシックカーとして最高峰とも言える名車ブガッティを楽しむ世界のオーナーたち。ぜひ温かく迎えたい。



ブレシア、グランプリ、そして大きく豪華な車と、ブガッティはそれほど長くない期間にさまざまな車を作り上げた。その真髄は「車は高性能で美しくあるべき」というエットーレのポリシー。それが 100年を経た今も多くのベテランヴィンテージカー愛好家のハートをつかんでいる。

左/このイベントの主催者であるフランコ・マイノさん。最後尾から参加者を見守り最後までケアをしてくれる。右/現在ブガッティ社のヘリテージ部門を担当するルイジ・ガーリさん。まだ 33歳で若いが社用車であろう1926年タイプ35をしっかりと乗りこなしていた。2日間は彼のコ・ドライバーをさせてもらい、良い体験ができた。


文:堀江史朗(オクタン日本版) 写真:DeganoDavide、堀江史朗(オクタン日本版)
Words:Shiro HORIE(Octane Japan) Photography:DeganoDavide、Shiro HORIE(Octane Japan)

堀江史朗

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