連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.10 ポルシェ917

T. Etoh

今さら説明の必要もないほど有名なポルシェのレーシングカーが917。とはいえ、ポルシェにとってはある意味で突然変異のようなマシンであった。

背景はこうである。1968年シーズンを前にして、速度を減じる対策と称し、それまで排気量無制限だったグループ6プロトタイプの排気量を3リッター以下に制限するとモータースポーツを統括するFIAの下部組織CSIが発表したのである。効力は1968年から1971年シーズンまで維持されるとされた。速度低減のみならず、排気量を3リッターとすれば、既に3リッターのF1エンジンを開発しているコンストラクターも、プロトタイプレースに興味を示すのではないか?というのも3リッターにした理由のひとつだったと言われる。一方でグループ4に属するスポーツカーについては排気量を5リッターまでとし、最低生産台数を50台としたのである。しかもチャンピオンシップはどちらのマシンであっても良かった。こうなると排気量3リッターの908はその戦闘力が俄然そがれることになる。ところが1968年4月になってCSIは急遽50台の最低生産台数を25台に減じる措置を取った。これをチャンスととらえたポルシェは、僅か10カ月で25台のレーシングカーを仕上げたのである。それが917だった。

1969年4月21日、ポルシェは25台の917を工場前に並べてFIAのインスペクションを受けた。自信満々のフェルディナント・ピエヒはFIAの査察団に対して、好きな車をドライブしてよいと申し出たものの、FIAのメンバーはそれを断ったそうである。ところがこの25台のうちのほとんどが大まかな組み立てに終始していて、実際にレースに出られるような仕様にはなっていなかったという。このためFIAの承認が下りたのち、15台が解体され、新たに作り直されたというのである。



ロッソビアンコ・コレクションに展示されていたブルーと黄色に塗られたGESIPAというドイツの工具メーカーのスポンサーカラーに塗られた917は、シャシーナンバー007の917である。この車は1969年5月にホモロゲーションを取得した後に開催されたルマン24時間に出場した3台のマシンのうちの1台で、当初はロングテールボディを纏っていた。3台のうち2台はワークスカーで、残りの1台はプライベーター、ジョン・ウールフに引き渡されたもの(残念ながら彼はこのルマンのオープニングラップでクラッシュし帰らぬ人となった)。007のドライバーはロルフ・シュトムレン/クルト・アーレンスJr.組であった。

1970年シーズンになるとこの車は俗にドイツ語でクルツヘックと呼ばれたショートテールボディに換装される。車両はHans-Georg Biermannに売却され、ここに展示されていたGESIPAカラーに塗られてレースをするのである。この年はスポーツカーチャンピオンシップの他、インターセリエにも出場。6度出場したインターセリエでは2度の優勝と3度の2位を得る好成績を残している。しかし、最終戦でクラッシュし酷いダメージを受けた車は71年シーズンに向けてグループ7のスパイダーボディに換装。そして71年シーズンをもって一線のレースから退役している。1976年になって、70年当時のショートテールボディに再び戻され現在に至るが、この間1987年から1995年までの間、ロッソビアンコ博物館に展示されていた。

917は36台のスタンダードシャシーと3台のマグネシウムシャシーが作られ、シャシーは合計39台あったとされるが、現存するモデルは33台のようだ。オリジナルとは異なるのがフロントのカウル。ヘッドライト横に着くエアダクトの形状が左右で異なる。正面から見て左側は普通の三角形状のダクト。一方の右側はNACAダクトである。最初期のFIA査察時に作られたロングテールボディのカウルは全て左側と同じ3角ダクト。これがNACAに変更されたのはショートテール版が登場する70年のことなのだが、この左右が異なるモデルはシャシーナンバー013のモデルにも見られるが、これはカウルをショートテール版に戻す際に013のカウルをテンプレートとして使ったためだと言われている。



エンジンはデビュー当初4.5リッターフラット12が搭載されていた。コードネーム912と呼ばれるこのエンジンは、パワーアウトプットをエンジンの中央から取り出すシステムを持っていた。フラット8のレーシングエンジンを作る際にタイプ916と呼ばれたフラット6に2気筒を追加してエンジンを開発した時、そのトーショナルヴァイブレーションに悩まされていたからである。通常の水平対向エンジンでは個々のクランクピンにコンロッドが付いているが、これが理由で対向するシリンダー間にそれなりのオフセットが存在する。そこで、917用の912エンジンはV型エンジンのように各クランクピンに2本のコンロッドを装備していたのである。このためこのエンジンはフラット12ではなく180度V12と考えられる理由であった。というわけでタイプ912には8個のベアリングジャーナルしか装備されておらず、クランクシャフトを短縮でき軽量化できるというメリットももたらしたのである。勿論エンジン長も短い。ボアxストロークは85x66mmで排気量4494cc。これが70年シーズンを迎えるとボアで1mm、ストロークで4.4mm拡大した86x70.4mmとされ排気量は4907ccとされ、排気系にも大幅なアップデートが施されていた。

1970年、917はル・マン24時間で優勝する。これがポルシェにとって初のル・マン優勝であった。しかし、この時のエンジンは4.9リッターではなく4.5リッターであった。そして71年、917は再びル・マンで勝利する。今度はさらにアップデートされて排気量を4999ccとしたエンジンで勝利をつかんでいる。このエンジン、ポルシェ初のニカジルコーティングを施したエンジンであった。そして勝利したドライバーの一人は今、レッドブルF1の総帥として活躍するヘルムート・マルコその人である。もう一人のドライバーはオランダ人のジィズ・ヴァン・レネップ。何やら今のマルコとフェルスタッペンのコンビのようで因縁めいている。




文:中村孝仁 写真:T. Etoh

文:中村孝仁 写真:T. Etoh

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