連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.12 マセラティ・ティーポ151/006

T. Etoh

マセラティ・ティーポ151については既に一度151/3という車についてこの連載でも取り上げている。そしてこのティーポ151は僅か3台分のシャシーしか作られていないことも。連載7で取り上げたピエロ・ドロゴデザインの独特なクーペボディは忠実に復元されたレプリカであり、オリジナルのシャシーを持つモデルは世界にたった1台。この006のシャシーナンバーを持つモデルだけなのである。



006はその前に作られた004と共にアメリカのブリッグス・カニンガムチームに引き渡され1962年のル・マン24時間レースに参戦した。残念ながら結果は残せなかったが潜在的な高いポテンシャルだけは示したようである。

ティーポ151は、60/61の名で呼ばれた通称バードケージという複雑なチューブラースペースフレームを持つモデルの後継車としてル・マン出場を目指したモデルである。同じチューブラーフレームながらより簡略化され、バードケージで使っていたクロームモリブデンスチールから、当時の450にも使われていたスチールチューブラーフレームに切り替えた。



バードケージと異なりクーペボディとされたのは、FIAが1962年のル・マン24時間レースに導入した「エクスペリメンタルGT」というカテゴリーにマシンを投入するためであった。また、搭載エンジンは450S用の4.5リッターV8を使用したのだが、レギュレーションが4リッター以下に制限されていたことから、ボアを約3mm縮小した91mm、ストロークで約5mm縮小した75.8mmとした3943.9ccとされた。変更はそれだけでなく、4カム化され、さらにドライサンプ化されていた。またキャブレターはウェーバーの45IDMが装備されていた。ただし、これはあくまでもカニンガムチームによってル・マン出場を果たした時のスペックである。

アメリカに渡った2台の151のうちシャシーナンバー004はその後006と共にアメリカでレースに出場する。特に004はマセラティのマリーン用5.7リッターエンジンを搭載。さらに1963年2月のディトナ・アメリカン・チャレンジカップでは7リッターのフォード製V8エンジンに換装され出場した。しかし、パワーに対してシャシーが完全に負けていたようで、東ターンのバンクで転倒し、そのまま発火して焼失した。その時ドライブしていたのはナスカードライバーとして有名なマーヴィン・パンチである。彼はガソリンタンクから火が出るほんの数秒前に車から引きずり出されて事なきを得た。

というわけで、004がこの世から消えたことでティーポ151は最後に作られた006のみが現存することになった。フロントエンジンにもかかわらず極めて低いノーズを持つ151のボディデザインは、鬼才ジュリオ・アルフィエーリ。バードケージやスーパーレッジェラ構造の3500GTも彼によるデザインであった。この鬼才エンジニアとともに151の開発を推進したのが、当時まだ25歳の若さだったジャンパオロ・ダラーラである。ダラーラによれば151は彼がフェラーリからマセラティに移籍して最初のプロジェクトであり、ジュリオ・アルフィエーリをチーフとしてシャシーデザインをジョルジョ・モリナーリ、生産をアウレリオ・ベルトッキ。そしてテストドライバーは伝説化したグェリーノ・ベルトッキが担当していたという。



ティーポ151は潜在的なポテンシャルが高かったことは前述した通り。しかし、細かい部分の煮詰めができていなかった。テスト不足である。そんなわけでル・マンのプラクティス中に次々と問題が発生した。ただ、そうは言っても潜在的ポテンシャルがあったので、予選では十分な速さを見せつけていた。結局マセラティよりも速かったのは2台のフェラーリのみで、予選3位を獲得したのであった。ただし、リザルトはすでに以前にご紹介したように、すべてリタイアである。



残った006はアメリカでチャック・ジョーンズに売却され、数レースを戦ったものの、さしたる戦績を残せぬまま、チャック・ジョーンズの手によって、ロードカーにコンバートされたのである。その際、エンジンは手持ちにあった4.2リッターV8に換装され、ノーズをジャガーEタイプ風に改造。さらにルビーレッドに外装を塗り替えたという。

その状態の車をサンノゼのガレージで発見したのがピーター・カウス。自身のロッソビアンココレクションに加えるべく購入しドイツに持ち帰った。そして車はカニンガム仕様のカラーリングに塗り替えられたものの、4.2リッターのロードユース用V8エンジンはそのままだったそうだ。つまり、ここで紹介するティーポ151/006は、正真正銘唯一生き残ったオリジナルのモデルではあるものの、エンジンはオリジナルのものではない。



その後、2006年にミュージアムが閉鎖され、ボナムスのオークションに出展された際購入したのがアメリカ、コネチカット州のコレクターであった。現在は走行できる状態にあり、元F1ワールドチャンピオン、フィル・ヒルの息子デレック・ヒルのドライブでラグナセカやグッドウッドなどのヒストリックカーレースに出場している。




文:中村孝仁 写真:T. Etoh

文:中村孝仁 写真:T. Etoh

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