マクラーレンF1は「きっと、いまから100年経っても孤高の存在」|熱狂の裏に潜んだ真実【中編】

Tim Scott

この記事は「史上最高のロードカー、マクラーレンF1と過ごした48時間|熱狂の裏に潜んだ真実【前編】」の続きです。



ゴードン・マーレイは、マクラーレン・フォーミュラ1チームと同じように、ホンダ製エンジンをF1に搭載したいと望んでいた。しかし、マーレイの期待する4.5リッターのV10もしくはV12の開発をホンダが請け負うことはなかった。そこで彼は、ブラバム時代のエンジン供給元であるBMWとコンタクトしたところ、旧知のパウロ・ロシェはV12エンジンの供給に同意。F1プロジェクトを窮地から救ったのである。当初、最高出力は550bhpもあれば充分とマーレイは考えていたが、ロシェはそれを上回るパフォーマンスを実現。BMWモータースポーツの手により専用開発された排気量6.1リッターのエンジンは、E36型M3に搭載された3.0リッター、24バルブのストレート6をベースとしたもので、60度 V12の総排気量は6064ccとされ、7400rpmで627bhpを生み出した。

事前にマーレイが性能目標を設定することはなかったが、目標とする車重を実現し、エンジンの比出力が1リッターあたり100bhpを上回っていれば、動力性能は充分と予想していた。しかし、BMW V12エンジンの卓越したパフォーマンスにより、F1は常識外れのパフォーマンスを手に入れることになる。その一部を紹介すると、0-60mph(約96km/h)加速は3.2秒、0-100mph(約160km/h)加速は6.3秒となるが、後にエンジンの最高回転数が引き上げられると、最高速度は240.1mph(約384km/h)にも達した。空力的に優れたF1はスーパースポーツカーによる最高速度の常識を塗り替え、人によっては「この記録が更新されることは未来永劫ありえない」とまで主張するほどの高みに達したのである。

魔術師にして、空前絶後のスーパースポーツカーを生み出したゴードン・マーレイ。彼の「金に糸目を付けない」車作りは、金箔で熱の遮蔽を行った手法に象徴されている。

しかし、ゴードン・マーレイは異なる考えを唱えていた。彼はブガッティ・ヴェイロンの誕生を予言していたのだ。もちろん、彼はノストラダムスではないので、その名前まで言い当てたわけではない。けれども、やがてはさらにパワフルな車が誕生し、より高い最高速度を記録すると語っていたのだ。けれども、その車がF1ほど軽くないこともまた予言していた。最高出力1001psのヴェイロンが253mph(約405km/h)をマークしたのは2005年のことだが、その車重は1838kgに上った。

ホンダはエンジン供給に関するマクラーレンの依頼を断ったかもしれないが、彼らはF1に間接的な影響を与えていた。初代NSXをドライブしたマーレイはそのしなやかな乗り味にいたく感銘を受け、F1のハンドリングと乗り心地を設定する際のベンチマークとしたのである。私は、この点においてもF1が史上もっとも優れたスーパースポーツカーであると確信している。

F1にはパワーステアリングやブレーキのサーボアシストを装備しないと、マーレイは繰り返し主張していた。いま、F1をドライブしてみると、ブレーキペダルの踏み始めでは減速度の立ち上がりがやや鈍いものの、そこから強く踏み込めば充分以上のストッピングパワーが得られることに気づくはず。ただし、これだけ速いスーパースポーツカーなのだから、パワーステアリングはやはり欲しかったと言わざるを得ない。マニュアルのステアリングで充分に機能するスーパースポーツカーもなくもないが、F1は例外だ。その操舵力は軽いともいえないし、フィーリングが豊富とも言いがたい。そのいっぽうでウェットでは流れるような操舵が求められる。また、カウンターステアが必要となるレベルまでプッシュするにしても、慎重の上にも慎重を期する必要がある。もしもひとつだけ、私がF1を変えることができるとすれば、それは間違いなくパワーステアリングの装着だろう。なぜなら、制動と操舵を注意深く行うことこそ、真のドライビングの醍醐味だと考えるからだ。

ファクトリープロトタイプ、XP 4


写真で紹介しているのは、合計で5台が製作されたファクトリープロトタイプ“XP”のうちの1台にあたるXP4だ。このうち2台は現存しない。1台はクラッシュテストに供され、もう1台はナミビアの砂漠を高速で走行中にアクシデントに遭い、バラバラになったからだ。BMWのエンジニアがそこから歩いて立ち去ったのは、不幸中の幸いというほかない。したがって、XP4は3台だけが残っているうちの1台ということになる。もともと深いグレーに塗られていたこのXP4は、グッドウッド・サーキットでティフ・ニーデルと格闘する様子がトップギアの番組として放映されたことでも有名な1台。後にエレクトリップ・ブルーに塗られると、完全な生産車仕様に改められたうえで、最初のオーナーであるニュージーランド人のもとへと旅立っていった。

このXP4がカリフォルニアで発見されたのは数年前のことだった。続いて5年前に、現在のオーナーであるロブ・カウフマンが手に入れた。購入するとすぐに、彼はF1をウォーキングへと送り、リフレッシュと認証作業を依頼。マクラーレンの手で本物のF1であることが認められたのだが、新型コロナ感染症の影響で作業には2年間を要することとなった。ちなみに、1920年代製のベントレー41/2リッターも所有する彼にとって、パワーステアリングを備えていないことは問題にならないようだ。「(ベントレーのほうが)ホイールベースが短いうえにタイヤは華奢。もちろんエレクトロニクスは皆無ですが、ときには手痛い思いをすることもあります」



現在のオーナーがもっとも感心しているのは、デザインが完成していることと実用性の高さで、後者に関してはどんなスーパースポーツカーもライバルとはなりえないという。「きっと、いまから100年経っても孤高の存在だと思います」

いまやF1の価値は2000万ポンド(約35億円)ともいわれるが、現在のカウフマンに湿度が一定に保たれた“バブル”のなかにXP4をしまい込むつもりは毛頭ない。「私は『車を走らせたい』と思う、奇妙な人種なんです」もっとも、これはカウフマンに限った話ではなく、かつてXP4を所有していたマクラーレンと前オーナーにとってもそれは同じこと。「現在の走行距離は2万6000マイル(約4万1600km)ですが、3万6000マイルまでであれば、その価値に影響はありません」若きエンスージャストたちにXP4のステアリングを委ねたり展示することが、いまや自分にとっての半ば義務であると感じているそうだ。



10年前であれば、F1の相場はいまよりずっと低かった。一時期など、たったの35万ポンド(当時のレートで4500万円ほど)で手に入ったこともあったほどだ。カウフマンの記憶によれば、それは新生マクラーレンが立ち上がってMP4/12Cが発売された2011年ごろのことだという。なるほど、P1が誕生した2013年当時、F1の影がやや薄くなっていたのは事実だろう。

この時期、F1を売るのがいかに難しかったか、私たちには想像することさえ困難である。テイラー&クローリーのボスでベテラン・レーシングドライバーのデイヴィド・クラークは、1990年代初頭のマクラーレンでセールス&マーケティングのディレクターを務めていたが、当時の価格は63万4000ポンド(当時のレートで1億4000万円ほど)。このとき、市場の状況は1980年終盤の不景気からまだ完全には立ち直っていなかったという。「この頃、人々は車の価値や価格のことを理解できていなかったように思います。私たちは、プロトタイプのウルティマをモナコで展示しましたが、『1台買おう』という人がチラホラいた程度。いまだったら誰もが『2台くれ!』といったことでしょう」

当初、マクラーレンは350台のF1を販売する計画だったが、市場の状況を熟知していたクラークはより低い目標を設定。BMWとのエンジン供給契約に関しても内容の見直しを行っていた。最終的に、彼らが販売したのはたったの106台で、うち64台が標準仕様のロードカーだった。ほどなく始まったレース・プログラムとル・マンでの優勝は、ふたつの形でF1の拡販に貢献した。ひとつは、F1の名声を高める役割。そしてもうひとつは、レースカーを1台購入した者はロードカーも1台買わなければいけないという、クラークが考え出したパッケージプログラムによるものだった。

マクラーレンF1の発表から30年が過ぎたが、これと並ぶほど贅沢かつ良質なエンジニアリングを備え、思慮深いパッケージングが施された車は、いまだに誕生していない。しかし、そうした歴史は塗り替えられようとしている。ゴードン・マーレイ自身が手がけたF1の後継モデルというべき作品が、GMA T.50の名で間もなく完成するからだ。コンパクトで3シーターのスーパースポーツカーは、カーボンモノコックとマニュアルギアボックスを採用し、自然吸気式のコスワース製4.0リッターV12エンジンを搭載。その最高回転数は1万2000rpmに達する。そして654psの最高出力に対して、車重はわずか986kg!合計100台のロードカーが236万ポンド(約4億1000万円)で販売されるが、今回はセールスで苦労することはなかった。それどころか、発表からわずか48時間で完売となったのである。

【後編】に続く


編集翻訳:大谷達也 Transcreation: Tatsuya OTANI 
Words: John Barker Photography: Tim Scott

大谷達也

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事