“元・自動車少年”が一人で切り盛りする奇跡の模型メーカー「Q-MODEL」

Yoshiaki AMADA

英国のバックヤード・ビルダーを思わせる、創業者の個性が色濃く反映された自主独立・マイペースの小さな模型メーカーをガレージ・メーカーと言う。我が国を代表する、そんなガレージ・メーカーの筆頭が、Q-MODELだ。



古くからモータリゼーションが発達した欧米では、巨大企業や大資本家が“事業”として始めた自動車メーカーとは別に、一人の自動車好きの若者が趣味で車をいじっているうちに同好の士が集い、やがて小規模なスポーツカー・メーカーやレーシングカー・コンストラクターに成長していったという例も少なくない。そのようにして生まれ、今なお盛況なブランドとしてはコーリン・チャップマンが興したロータスや、ジャン・レデレのアルピーヌなどがよく知られるところだろう。

我々が愛してやまないミニチュア・モデルカーの世界でも同じような構図が存在する。すなわち大手玩具メーカーやもともと他業種だった企業が模型の分野に参入してくる場合と、物心ついたときから自動車好きだった青年が、気がついたらモデルカーのメーカーになっていたという……。今回ご紹介するQ-MODELというメーカーは、まさに後者。同社の創業者、最上久三郎氏は我が国のミニチュア・モデルカーの世界に於ける“バックヤード・ビルダー”の草分けである。

最上久三郎氏は 1953年生まれ。小学4年生の 1963年には鈴鹿サーキットで第1回日本 GP、中学生となった1966年にはオープン間もない富士スピードウェイで第3回日本GPが開催されるといった、まさに日本の戦後モータースポーツ創世記に多感な少年時代を過ごしている。この熱い時代の空気感が、当時の自動車少年にどれだけのインパクトを与えたかは想像に難くない。

その当時の自動車少年たちの例に漏れず、まだ免許取得年齢に達しない最上少年もまた車の模型にのめり込むこととなる。1960年代半ばというと、日本ではスロットレーシングカーが爆発的なブームとなり、また、あのタミヤからは1/12スケールの超精密プラモデル、ホンダRA273F1が登場し世界に衝撃を与えた時代。実車のモータリゼーションの発達とモータースポーツの盛り上がりに呼応するように、模型の世界でもミニチュア・モデルカーがそれまでの素朴な玩具からリアリティあふれる精密なスケールモデルへと進化し始めた時代でもあったのである。

すでに自動車( =雑誌の情報とモデルカー)ざんまいの生活を送っていた少年時代。その最上さんの前に、その後の人生に大きな影響を与える人物が現れる。最上さんをして「今までは自分が一番車に詳しいと思っていたが、彼に出会ってその考えを改めた」と言わしめたもう一人の“自動車少年”。その彼の名は、伊東和彦といった。そう、読者諸兄ならすでにご存知であろう。モータージャーナリスト、インディペンデント・キュレーターとして本誌でも活躍する、あの伊東さんである。

当然のように意気投合。中学、高校時代を共に過ごしたふたりの自動車少年は、顔を合わせるたびに車談義に熱中し、模型工作の腕を競い、街中に車の写真を撮影しにでかけ、やがて富士や筑波のサーキット観戦に幾度も訪れるようになる。






盟友・伊東和彦氏と共にカメラ片手に東奔西走。街中のスナップから実車展示イベント、そして筑波サーキットや富士スピードウェイへレース観戦。この時代に受けたエネルギーが模型メーカーとしての原点。ちなみに上から2番目のフロンテ・クーペは当時の最上氏の愛車。協力:伊東和彦(Mobi-curators Labo.)

学校を卒業しふたりの自動車少年は、再びそれぞれの道を歩み始めることとなる。

エンツォ・フェラーリの「レーサーになろうと思ったら、その時点ですでにひとかどのレーサーでなければならぬ」という趣旨の言葉があったが最上さんもまた、こと模型に関してはすでにアマチュアの域を超えていた。

1982年、若者向けライフスタイル誌『POPEYE』に「深夜にコツコツ模型をスクラッチビルドする名人」として取材を受けた時点では、まだ服飾系専門学校の職員だった最上さんだったが、すでにこの頃から「模型メーカー」として起業することを考え始めていた。取材を受けた翌年、1983年からガレージキットの開発を開始、1984年1月には初のオリジナル・モデル『1959年フェラーリ250テスタロッサ』の1/24レジン・キットをリリース。ブランド名は自身の名にちなんで『Q-MODEL』とした。100台のみの少数生産であったが、発売後すぐに完売。

それまでの日本製モデルカーにはないマニアックな車種選定やリアルな造形は大きな評判となり、老舗模型専門誌『モデルアート』でも取り上げられ、表紙も飾っている。この年、最上さんは『Q-MODEL』を正式に事業として届け出、ここに小さな模型メーカーQ-MODELの歴史が始まったのである。


Q-MODEL初のキットとなった1/241959年フェラーリ250テスタロッサのパッケージと、そのキットが紹介されたモデルアート誌、そしてメーカー創立前夜に取材を受けたPOPEYE誌の表紙。


こちらはエンジンやシャシーまで再現されたフェラーリTR61のフルディテール・モデル。今から30年近く前、1990年代半ばの模型としては驚異的な再現度だった。ちなみに本稿でご紹介しているモデルカーはいずれもメーカー絶版となっており、市中在庫のみ。

創立当初はフェラーリTRシリーズを立て続けにリリースし、中でも同社初の内部構造まで再現したTR61はマニア筋でも高い評価を得た。これらビンテージ・フェラーリの開発が一段落すると、1960年代の国産レーシング・マシーンにモデル化の軸足をシフト。

「実車のレースはやはり日産 R382が優勝した1969年日本グランプリの印象も強烈ですが、個人的には同じ年に開催された日本CAN-AMで優勝した川合稔選手のトヨタ7が印象深いですね」と語る最上さん。「当時の車好きはほとんどが日産党でしたが、自分はトヨタに惹かれていました」とも。確かにQ-MODELの歴代ラインナップを見ても、トヨタ7や2000GTなどのトヨタ系レーシング・マシーンが多い。かつては1/24のレジンキットがメインだったラインナップだが、昨今では1/43の完成済みミニカーも多くなっている。


トヨタ、日野、ダイハツ……。他社があまり模型化することのない車種をフォローするQ-MODELならではの車種選定。左は1/24レジンキット、川合 稔の1970年のトヨタ 7ターボ。下の1966年マカオGPクラス優勝車のダイハツ・コンパーノ・スパイダーは1/43ミニカー、1966年マカオGPのクラス優勝車。

日野サムライとコンテッサ・レーシング。どちらも1/24レジンキットの完成作例。

サムライのモデルは取材に協力してくれたピート・ブロックに 1台がプレゼントされた。

モデルカーの世界では「とりあえず人気の高いハコスカ作っとけば間違いない」という風潮も強いが、Q-MODELはトヨタや日野、ダイハツなど、他のブランドではあまり見られないモデルカーも少なくない。設計・開発を全て一人でこなしていることから、その生産数はごく少数で新作も年に1~2台というペースだが、それでもQ-MODELならではの製品を待ち続けている熱心なファンは多い。


最上さん近影。最近では1/24や 1/43のモデルカーのみならず1/1スケールのパーツも手がけている。自身の愛車でもあるダイハツ・コペン用のメッシュのフロントグリルがそれで、ボディを加工することなく装着できる。

戦後日本のモータースポーツの熱気をリアルタイムで体験した最上さんが、その記憶をモデルカーを通じて表現し続けるQ-MODELのモデルカーは、だからとても尊いのである。


文:長尾 循 写真:雨田芳明
Words:Jun NAGAO Photography:Yoshiaki AMADA
協力:Q-MODEL https://www.q-model.jp

長尾 循

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