モーニングクルーズ ロータスエリートミーティング&オールドロータス|新車から日本にあるエリートが4台も!

Shunichi UCHIDA, Chizuko UCHIDA

代官山 蔦屋書店で毎月第2日曜日に開催しているモーニングクルーズ。4月14日はロータスエリートミーティングとジョインし、オールドロータスをテーマに開催された。(ここで指す「エリート」は「初代エリート」である)
会場には20台を超えるエリートや70台近いオールドロータスであるエラン、ヨーロッパ、セブン、そしてエスプリ(ジウジアーロオリジナルデザインのものまで)が集合。世界でも類を見ないミーティングとなった。





エリートが世に初めて姿を見せたのは1957年のロンドンモーターショー(アールズ・コートショー)にセブンとともに展示されたときだ。そのすべてがむき出しのセブンに対しエリートは魅惑的なクーペのシルエットを持つ明らかに自動車の形をしたもので、人々の注目を集めた。特のそのモノコックボディはFRPでできており、まだ自動車業界では一般的ではなかった時代に積極的に採用したのは驚くべきことだ。もちろん欠点もあり、サスペンションの摺動音や取り付け部の割れ、こもり音などは最後まで克服できなかったものの、車重が585kgという軽量に収まったのはこのボディのおかげでもある。

フロントに搭載されている1216ccSOHCエンジンはコヴェントリー・クライマックスFEWで、75hp/6100rpmを発揮。後にSEは85hp/6500rpmという高性能版も登場。モデル末期にはよりエンジンをチューンしたスーパー95、100、105GTなどもラインナップされた。因みにこの数字は馬力を指している。エリートは1962年までに約1000台が作られたと伝えられている。



日本には1960年代の初頭に当時のロータスの輸入ディーラー、芙蓉貿易の手で輸入が開始され、合計で7台が持ち込まれ、そのうちの4台が今回のミーティングに参加したのだから驚きである。消息筋によるとこの7台すべてが現存しているという。

今回参加したその4台をそれぞれ紹介しよう。“品川5”のナンバーを持つ車は最初に福岡に納車されたのち、1968年に東京の青山の方が購入し、いまに至っている。そのボディカラーの大半がオリジナルペイントで、内装の素材等もすべてオリジナルであるという。





続いては当時学習院の講師をしていたボブ・ハザウェイ氏(日本名:波嵯栄 菩珷氏)が第2回日本グランプリに参戦した車で、スーパー90である。現オーナーは、F1モナコ・ヒストリックGPで優勝経験のある久保田克昭氏である。



そして本田宗一郎が新車で購入したこのエリートは、ホンダスポーツ360をはじめ、のちに市販化されたS500、S600、S800を作るにあたりその参考にした車だ。宗一郎氏自らステアリングを握って都内の自宅から狭山や和光まで通ったと伝えられており、とても気に入っていた1台だったようだ。



子供の頃に見た1台を50年近く持ち続ける魅力


最後にご紹介するのは赤いボディで地域区分を持たない新車当時からの“5”ナンバーを持つ1961年式の車だ。芙蓉貿易から新車で購入した初代オーナーは野菜の種などを作って販売をする種屋さんだったそうだ。実はこの方、前述したボブ・ハザウェイ氏の車やセブンも同時期に所有していたとのこと。現オーナーは新車当時からこの個体を知っていた。この個体が輸入された当時はまだ中学生だった氏は、ご自宅の近くにある工場にこの車が入庫することから、よく目にしていたという。そのときの思い出として語ってくれたのは、当時都電が走っていたその路面は石畳状で凸凹しており、その上をボディが全く揺れないまま、タイヤだけ上下に動くようにしながら走り去るさまを驚きを持って見送ったということ。因みに同じ路面をMGなどは車全体がぐらぐらと揺れるように走っていたのだとか。まさにエリートの四輪独立懸架の特徴が見事に表れていたのである。



そこから10年以上を経たのち短期間別のオーナーの手に渡った後、現オーナーの手元にやってきたこのエリートは、非常に丁寧に整備された状態だった。その理由は前出の修理工場のメカにあった。後にクラシックカーコレクターからも一目置かれる存在となるそのメカは、まだほとんど資料のない時代にリアデフとボディのマウントにゴムのカラーが取り付けてある理由を見抜いたのだ。当時このゴムの入手が難しく、直接溶接などで取り付けてしまう例が多くあった。そうするとショックが直接FRPのボディに伝わりクラックが入ってしまうのだ。そこでそのメカはゴムの代わりに石綿を巻いて対応したのである。結果としてその石綿はしっかりとゴムの代役を果たしボディに悪影響をもたらさなかったのだ。



現オーナーの手元に来て、かれこれ50年近くが経過する。そこまで持ち続ける魅力は何だろう。「それはハンドリング」だと即答する。「あの当時の車からしたらめちゃめちゃハンドリングがいいですからね。だから筑波とかに持って行くと速いんですよ」とコメントした。もちろん欠点も多くあるそうだが、それにもましてこのハンドリングと乗り心地、そして軽さがその欠点を大きく上回る魅力になっているのだろう。

最後にもう1台だけ紹介したい。これはディーラー車ではないが、ロータスを作ったコーリン・チャップマンが当時のワールドチャンピオンだったジム・クラークにプレゼントした車で、イギリスでの登録ナンバー、HSH200 がそのまま残っている個体だ。実はロータスはこのエリートに試験的にオートマチックを搭載。現在はマニュアルトランスミッションに換装されているが、オリジナルのトランスミッションも保存されているという。





エリートだけでなく、今回参加した多くのオールドロータスに様々なストーリーが秘められていたが、今回はエリートに的を絞ってお届けした。

このエリートという名称だが、当初はリンクスが有力候補だったが、それまでの11(Elevenイレブン)と同じEから始まるエリート(Elite)となった。これはコーリン・チャップマンと妻のヘイゼルとで生み出したものだという。そういうエピソードを思いながらエリートを眺めてみると、イギリス車にありがちな少し堅苦しい厚手のツイードジャケットのような雰囲気ではなく、どことなく柔らかな女性的ラインが見えて来るのは気のせいだろうか。


文:内田俊一 写真:内田俊一・内田千鶴子
Words: Shunichi UCHIDA Photography: Shunichi UCHIDA, Chizuko UCHIDA

内田俊一

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