常軌を逸したロードカー、ジャガーXJR-15から「にじみ出る狂気」

Simon Kay

すべてカーボンファイバー製のXJR-15は、いわばトム・ウォーキンショーがこうあるべきと考えたXJ220だった。ジェームズ・エリオットが希少な英国製ハイパーカーのパイオニアに試乗した。



100mほどの“ミニ・カルーセル”を持つとはいえ、このコース、「フェン・エンド」はニュルブルクリングとはちょっと違う。実際には、ロクソール近郊のホニリー・エアフィールドの跡地にわずか5年前に建設されたものだが、ミッドランドの新しいジャガー・ランドローバーのテストコースは、今も第二次大戦当時の飛行場の形を残しており、その半分はかつての滑走路をそのまま“上書き”したもので、残りも以前の施設を利用してレイアウトされている。

空軍基地跡地でXJR-15に乗る


それまではプロドライブのテスト施設だったフェン・エンドは、さほど広くはない敷地に様々なコースが詰め込まれている。ほとんど1マイルに及ぶストレートは左に曲がった後に180°のループに続き、さらに右コーナーを抜けるともうひとつの傾斜のついたストレートに出る。2本の直線路はきついバンクで結ばれているが、スピードの出ない車は下の平らな部分を走ることもできる。3レーンのコースの両側はガードレールに挟まれ、ランオフエリアはなく、ほとんど平坦である。

ジャガー・ランドローバーSVO(スペシャル・ヴィークル・オペレーションズ)の本拠地たるこのフェン・エンドを訪れたのは初めてだが、私には本格的なテストに十分以上の施設に見えた。ジャガー・スポーツXJR-15のような本当の怪物をテストするにも不足はないはずだ。

XJR-15については既に多くの記事が書かれている。ジェームズ・ペイジによる『Octane』197号の特集には、11台ものXJR-15が集まった2018年のグッドウッド・ギャザリングの模様と、オーナーやプロジェクトの重要人物の話を含めてこの車の歴史が余すところ網羅されている。その中で最も簡潔で的を射た説明と感じたのがオーナーのヴァレンタイン・リンゼイの熱のこもった言葉だった。「マクラーレンF1に次いで最高の車だ。しかも価格は20分の1にすぎない(当時も今もこの評価は適正だろう)」

もちろん両者には根本的な違いがある。マクラーレンF1はサーキットでも扱えるロードカーであり、いっぽうジャガーXJR-15は驚くべきことに公道走行も認められたレーシングカーと言える。



ツーリングカーや耐久レースの世界で魔法使いと呼ばれたスコットランド人のトム・ウォーキンショーがこのプロジェクトの中心人物であることは言うまでもない。頑固で不屈で才気に溢れ、たいていは気難しいこのスコットランド人が、XJ220のショーカーに物足りなさを感じたことがきっかけだった。トニー・サウスゲート設計によるTWRXJR-8と9がサーキットで成功を収めた後、ロードゴーイングカーの開発計画に踏み出したのである。当初はピーター・スティーブンスをデザイナーに起用し、XJR-8のカーボンタブを使ったモデルが検討されたが、間もなく開発陣はレーシングカーをロードゴーイングに改造するだけではまったくモノにならないということに気づいた。

結局、グループCレーサーからはだいぶかけ離れた、より幅広く高い、いわば両刀使いのようなモデルを目指すことになった。エンジンはグループCマシン用の6.エンジンを450psにデチューンしたもので、ギアボックスはほんのわずかな快適性を備えたロードゴーイング仕様の5段マニュアル(シンクロ付き)、あるいはそれをまったく無視したレース仕様6段クラッシュボックスのどちらかを選ぶことができた。



ジャガー本体がXJ220を推していたこともあって、45万ポンドのXJR-15はジャガー・スポーツ・インターコンチネンタル・チャレンジ・シリーズ(3戦で競うワンメイクレース)専用車として売り出された。このレースシリーズは100万ドルという優勝賞金でも注目を集めたため、世間一般にはレーシングカーとして認識されたはずだ。ただし、全カーボン・ケブラー製のXJR-15の生産台数52台のうち、5台は7リッターエンジンを積んだLM仕様で、16台がレーシングカー(おそらくは17台)、そして残りはロードカーだった。ちなみに生産数の最初と最後はTWR R9R(プロトタイプ)だったという。

高平高輝

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