サーキットでタイヤスモークの咆哮を上げるミニ・クーパー"クーパーワークスカー"

Photography: Lyndon McNeil、BMW Archives

一時はワークスカーとして華やかな来歴を残しながら、運命の悪戯で歴史の陰に葬られていた1台のミニ・クーパーがコスト度外視の入念なレストレーションで甦り、ふたたびサーキットでお約束のタイヤスモークに包まれた

スモーク再び
私はいま、グッドウッド・サーキットで完璧にレストアされた1965年スペックのレーシングミニをドライブしている。果たしてタイヤスモークはうまくあがっているだろうか?

言っておくが、これはただのレーシングミニではない。正真正銘、本物のクーパーワークスカーで、"あの時代の"本物のレーシングミニとして記録されるべき個体だった。だから当然のことクーパーワークスカーの代名詞となっているタイヤスモークを盛大に上げなければならないのだ。もちろん"ジョンクーパーワークス"のブランド自体は、現代のBMW製ミニにつけられたバッジでも有名だが、実在する偉大な車たちが築き上げた伝説の上に安住しているものについてはこれ以上のコメントは控えておく。

「ブルーはないだろう」
この車はオースティンではなくモーリスの最後の2台であり、"GPH2C"、"GPH3C"、"GPH7C"の姉妹車として"GPH1C"で登録された。今、私が座っているシートは、往年の素晴らしいミニのレーシングドライバー達、ジョン・ローズ、パディ・ホプカーク、ワーウイック・バンクス、ジョン・ハンドリー等の仕事場そのものなのだ。ここに腰を落ちつけると、ほとんど威圧的とさえ言える偉大な歴史を感じることができる。

1965年以来、いくつかのディテールは少々曖昧になってはいたが、それらのほとんどはCCKヒストリックのダニエル・ラッキイの科学捜査的なリサーチで明らかになった。同社は、サセックスに本拠を置き、レースカー・プリパレーションとレストレーションを手掛けているが、今回"GPH1C"を正しいスペックに復元したような「リヴァイヴァル・クリエーション」という仕事で知られている。

「いくらなんでもブルーはないだろうと思いました」と、新しいおもちゃを手に入れたオーナー、ベン・ガリヴァーは言う。ブルー?しかし、これはどうみてもブリティッシュ・レーシング・グリーンに塗られた車だが…。

クーパーは外部から見えない部分を除いて、ファクトリーオリジナルの少々明るすぎるアーモンドグリーンではなく、ブリティッシュ・レーシング・グリーンに近いコマーシャルグリーンを使っていた。ジョン・クーパーが付けたニックネーム"グラフィック"と呼ばれていた"GPH1C"は、レーシングカーになる前はメーカーオリジナルカラーのサーフブルーに塗られていた。その後クーパーワークスカラーとなり、引退に際して再びオリジナルカラーになっていたところへ、以前の持ち主が実用だけを考えてサテンブラックを上塗りしていたのだ。今回のレストレーションでは、この車がワークスレーシングカーとして仕上られた際のクーパーのワークスカラーである、コマーシャルグリーンに戻された。

クーパーのチーフメカニックだったジンジャー・デブリンは、1965年にロンドン・オリンピアで開催されたレーシングカーショーのクーパーのブースに、2台のクーパーフォーミュラとともに飾られていたことをはっきりと思い出した。また、ブースの展示車の「グラフィック」(この車のニックネーム)に搭載されたチューンされたエンジンを、アレック・イシゴニスとジョン・クーパーがチェックしている写真も残っている。

ショーを終えてから、クーパーワークスカラーに塗られたこの車がイギリスとヨーロッパのサルーンカー・チャンピオンシップにBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)の協力を得て参戦したのだった。

この車は生産ラインでサーフブルーに塗られた最後期の数台の中の1台で、1964年12月14日にラインオフしたことがわかっている。ケント州のBMCディーラーであったアンステイズにデリバリーされた後、クーパーカー・カンパニーに売却するため、ブルックランズのトムソン・アンド・テイラー社に"型落ちの在庫車"として1965年1月に移動されている。クーパー社では同月末のオリンピアでのショーに出展するため、急遽、レース仕様に仕立て上げた。

レースデビュー
「グラフィック」はブランズハッチで1965年3月13日に開催された、BRSCC(ブリティッシュ・レーシング&スポーツカー・クラブ)ツーリングカー・チャレンジシリーズ"イルフォードフィルム・トロフィー"のグループ2カテゴリーでレースデビューを果たした。メカニカルの変更はホモロゲーションを受ける必要があったため、多くの生産型部品が使われていた。

BMC Aシリーズエンジンの歴史の中で最もストロークの短いオーヴァースクエアの999cc、"970S"エンジンを搭載し、ワーウイック・バンクスの操縦で総合2位、クラスウィナーの好成績を収めた。"GPH1C"の姉妹車である"GPH3C"は1275ccを搭載してジョン・ローズが総合3位、1300ccクラス優勝を得た。これはたいへん印象的なスタートで、時折メカニカルトラブルにも見舞われたものの"GPH1C"はそのシーズンのレースではとても信頼できるマシンであることを証明した。999ccと1293ccのエンジンを使い分け、ワーウイック・バンクスはファイナルラウンドのオルトン・パークで、1リッタークラスでのレースとチャンピオンシップ両方のウィナーとなり、フォードマスタングで常勝を続けていたアランマン・レーシングのロイ・ピアポイントがもつ選手権への挑戦を開始した。

1966年、英国選手権はさらに改造に対して寛容なグループ5規定となった。エンジンはいまやダウントンチューンとなり、ボディには新型のアルミ製ボンネット、トランクリッド、ドア(10セットのみが1959年当時のオリジナルプレスを用いて製作)が採用された。また、1275ccエンジンはボアを拡大して、1293ccから90bhpを発揮した。このスペックは、パディ・ホプカークやワーウイック・バンクスなどのヴェテラン勢がドライブすれば極めて戦闘力が高いことが、セブリング4時間レースで明らかになった。"GPH1C"はそのカテゴリーでは1ポイント差でリードしたが、その後、左右2個のガソリンタンクのうち片方が詰まって7位に落ち、結局ジョン・ハンドリーのドライブにより、ブリティッシュシリーズでクラス優勝したジョン・ローズの"GPH3C"の遥か後方に沈んだ。めずらしく残念なシーズン後半のスコアであった。

その後、"GPH1C"は他の姉妹車たちがインジェクション化された後もウェーバー・キャブレターのままでチームのリザーブカーとなり、1967年のシルバーストーンを最後に再びロードスペックに戻されるという不名誉に甘んじなければならなかった。



このミニは勇気を持ってスロットルペダルを床まで踏み続ければ、最高のレスポンスを楽しめる。"間口の広い"FIAスペックの1293ccユニットはたいへん楽しませてくれるが、CCKヒストリックによる「グッドウッドスペック」ははるかに上出来だった

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編集翻訳:小石原 耕作 Transcreation: Kosaku KOISHIHARA Words: John Simister 

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