フェラーリ栄光のエンブレムが誕生するまで|伊空軍のエースパイロットとエンツォとの歴史

栄光のエンブレム(TONY WILSON-BLIGH/Alamy Stock Photo)

フェラーリといえば「跳ね馬」のエンブレムが思い浮かぶ。そこには興味深い歴史が秘められている。

1918年6月、イタリア空軍のエースパイロットであったフランチェスコ・バラッカ伯爵は、オーストリア軍に対する機銃掃射作戦のさなか、イタリア北部トレヴィーゾ県のモンテッロ丘陵に墜落し、死亡した。バラッカが操縦していた複葉機の機体には、自身とその飛行隊のシンボルであるカバリーノ・ランパンテ(イタリア語で「跳ね馬」の意)が描かれていた。

バラッカ伯のエンブレム
バラッカの墜落原因には諸説がある。イタリアでは対空砲火を浴びたためだと考えられているが、オーストリア軍の戦闘機に撃墜されたという説が有力だ。バラッカの遺体は墜落の3日後にイタリア軍によって収容され、生まれ故郷で葬儀がしめやかに執り行われた。それからおよそ100年となる現在、バラッカの紋章は、世界で最も知名度の高い特別なロゴとなっている。そこまでに押し上げた人物こそ、同じイタリアの偉大なるスピードの商人、エンツォ・フェラーリだ。

20世紀初頭、イタリアは自動車レースへの情熱に沸き返っていた。レースに興じたのは富裕層だったが、労働者階級にも愛され、面白いことに知識人や詩人、芸術家からも熱心な支持を受けていた。たとえば、タツィオ・ヌヴォラーリに有名な亀のマスコットを贈ったのは、詩人・評論家で、ファシスト運動の祖として知られる政治活動家のガブリエーレ・ダヌンツィオだった。彼はまた、エンツォ・フェラーリのお気に入りの作家でもあった。

飛行機と自動車に代表される機械とスピードは、農業国から近代的な産業国家へと生まれ変わろうとしていたイタリアにとって、発展の象徴だったのである。

バラッカは、エンツォより10歳年上で、1888年にルーゴ・ディ・ロマーニャで生まれた。19歳でモデナの陸軍士官学校に入ると、乗馬に熱中し、すぐに第2騎兵連隊の将校となった。この連隊のエンブレムにあしらわれていたのが跳ね馬だった。当時の血気盛んな若者の例に漏れず、バラッカも飛行機に魅了され、フランスのランスで訓練を受けると、1912年にイタリア空軍のパイロットとなった。イタリアは、1915年に第一次大戦に参戦し、フランスやイギリスとともに、オーストリア=ハンガリー帝国軍を相手に、イタリアとオーストリア国境の非常に険しい山岳地帯で戦った。

バラッカは、1916年4月に、戦闘機ニューポール11でイタリアに初勝利をもたらし、その後も数々の戦果を挙げて国民的英雄となった。当時、多くの飛行機乗りがそうしたように、バラッカも自分の愛機にかつて所属していた騎兵連隊の跳ね馬を描いた。戦死するまでに撃墜した敵機は34機に上り、イタリア空軍の"エース中のエース"として崇拝されていたので、若きエンツォもその活躍に畏敬の念を抱いていたのではなかろうか。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Delwyn Mallett

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