約半世紀の間、破壊されたまま放置されていたエンジンが、今再び轟く。

Photography: National Motor Museum



レコード挑戦車には不調が目立ってはいたが1922年の5月、再びブルックランズで新たな挑戦を開始した。操縦はケネルム・リー・ギネス。マシンはメカニックのビル・パーキンスによってチューンされ、まずフライングで133.75mphを出し、ブルックランズサーキット最後の陸上速度記録を樹立した。コートレンはマルコム・キャンベルを説得し、翌年のサルトバーンサンドでのスピードトライアルに出場させた。彼はそこで陸上速度記録を樹立したはずであったが、マニュアル計測が認められず公認記録にはならなかった。

キャンベルは激怒し、デンマークのファノ
エ島のスピードトライアルで記録に再挑戦するためマシンの購入をコートレンに申し入れた。これは彼の4 代目のブルーバードとなったが、車を持ち帰った時それが過酷な使用により疲弊していた事は明白だった。スカベンジポンプは作動せず、ミッションは再度故障した。スピードトライアル参加のための急作業の結果、キャンベルは再び記録破りの137.723mphを達成。



が、
計測機が非承認であったためまたもや記録は却下。キャンベルは心底怒り、その冬、彼とメカニックのレオ・ビラはマシンから極限まで高い性能を絞り出すことに集中した。航空機メーカーの風洞を使って、ヘッドフェアリングに連続した長いテールボディ、深いスカットル、そして幅の狭いラジエターフェアリング等の改良が加えられた。完成したマシンは部分的にブルーで塗られ、「ブルーバード」という小さなバッジが付けられた。

1924年9月、プロファイルを変更した
カムを組み込み、ウエールズのペンダインサンドに持ち込んだ。このときまでに英国のドライバー、アーネスト・エルドリッジは仏イルドフランスのアルパジョンサーキットでフィアットSB4シャシーに21 .7リッターのA12航空機エンジンを積んだ300hpのメフィストフェレスで記録速度を146. 01マイルまで延ばしており、サンビームがタイトルを奪還するチャンスは少なかった。

だがキ
ャンベルは区間平均146.16mphを打ち出し、それは幸運にも公式記録として認められた。幸運と言うべきは、このような1%以下の微細な更新記録は、現在ではほとんど認められないからだ。これは彼の9つの記録の最初となる。

サンビームの競技車両としての限界を感じたキャンベルは、新型のネイピアライオン航空機エンジン搭載車を発注した。そして1924年、150マイルの記録に再挑戦するためサンビームを再度ペンダインに持ち込んだ。コンディションは上々。彼は150. 87mphを達成し、人類史上初の150マイル超の記録保持者となった。キャンベルは翌年このマシンを、エンスーであるラルフLアスプデンのヴォクスホールGPカーと交換した。この新しいオーナーは1934 年、このマシンにスーパーチャージャーを装備すると公言したジャック・フィールドに譲渡した。

もし本当に
過給器装着が実現していれば陸上速度記録となったかも知れない。だが間もなくマシンはアマチュアレーサーのビリー・コットンの手に渡ってしまい、サウスポートサンドで121.5mphを記録した時を最後に消息を断った。

時は移り1940年、ランカシャーのエンスージアスト ハロルド・プラットリーが、スクラップにされる瀬戸際でこのサンビームを発見し数年にわたる交渉の末入手した。プラットリーはそれをサンビーム社の新しいオーナー、ルーツグループに貸し出し、マシンはプロモーションツールとして整備されさまざまなイベントで展示されたが、その間エンジンは取り外されて、実際に走ることは無かった。



1958年、ロード・モンタギューは、6年前にビューリーの敷地内にオープンした彼の新しい博物館、モンタギューモーターミュージアム(1972年に国立自動車博物館となる)に展示するためにこの速度記録車を入手し、エンジンをリビルドした。翌年にはシルバーストーンサーキットでデモンストレーション走行を行ったが、またもやアキレス腱のギアボックスが壊れてしまった。

ミュージアムでは重機メーカーアルビオン社製
のトラックのトランスミッションを移植した。この年、その状態のままロード・モンタギュー閣下はご自身が運転されてオウルトンパークにおけるデモランを楽しまれた。その後は、1962年のグッドウッドでマルコムの息子ドナルド・キャンベルは彼が所有している他のブルーバードと共に実演走行したのが最後の姿となった。

1993年には再度レストアが行われ、フラッシングの後エンジンは激発して少しゆっくりと動き出し、そして突然の爆音とともにコンロッドの一本がブロックから突き出した。 すべてが終わった。オイルラインの一つが詰まっていたのだ。

編集翻訳:小石原耕作 Transcreation: Kosaku KOISHIHARA Words: Charles Armstrong-Wilson

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