パキスタン、スコットランド、南アフリカを旅したマハラジャのロールスロイス

インドのマハラジャに最初にデリバリーされたというヒストリーを持つ64AB。シルバーゴーストは機械部分の寿命が長いため、何度もボディを載せ替える。現在は4番目のボディだ。(Photography:Gensho HAGA, MCL)



1906年11月のロンドン・ショーで、後にシルバーゴーストの名で呼ばれることになる新しい6気筒モデルの40/50HPが公開された。ロイスたちは、新製品の登場を広く告知するため、同社らしい最高のプロモーションを考案した。それは、高い品質の証になる耐久性を証明するため、グラスゴー ロンドン間をノンストップで1万5000km走行したのち、シャシーとエンジンを分解して摩耗の度合いを調べるという走行試験であった。燃料コックの不具合で1万5000kmを目前にした1万4371kmでテスト終了を余儀なくされたが、この記録は、同じく英国のシドレーの持っていた走行記録の約2倍にあたる快挙であった。分解してみると摩耗はステアリングホイール周辺に僅かに認められるだけで、すぐに復することができた。

クロード・ジョンソンの商才が発揮されたのは、宣伝のために、このトライアルに使う車を銀色に塗装し、外部パーツに銀を被せるなどしてSilver Ghostというプレートが取り付けたことだ。ゴーストとは幽霊のことだが、極めて静粛であり、音もなく近づいてくることを示す絶妙なネーミングであった。この静粛さこそ、高級車を求める顧客が嫌う、ギアノイズや車体の軋み音、エンジンやサスペンションからの振動などを誘発させない、すなわち質の高さを示す証であった。

さらにジョンソンは自動車専門誌に試乗記を依頼し、『AUTOCAR』誌は、「サードでゆっくり走らせると、今までに経験したことのない滑らかさを感じた。雑音もほとんどなく、エンジンは静かなミシンのようだ…、サードではどのような速度域で運転してもエンジンの存在は感じられない…」と激賛している。シルバーゴーストの名は正式名称となり、ロールス・ロイス社は、これ以降、約15年間に渡ってシルバーゴーストのみに集中して生産に当たることになる。

40/50HPシルバーゴーストの入念な設計と工作をすべて述べていたら、紙幅がいくらあっても足らないので、エンジンに的を絞って話を進めていこう。

そのエンジンは、排気量7036cc(1909年に7428ccに拡大)の、SV(サイドバルブ)方式直列6気筒ユニットで、圧縮比は3.2:1であった。因みに当時のガソリンは産油国によって大幅に品質のバラツキがあり、オクタン価は50程度が一般的であり、最高のもの(北米産)であっても70程度であったという。こうした粗悪な燃料と潤滑油に耐えつつ、信頼性を最優先しなければならなかった。

40/5HPのモデル名の由来は、40とはRAC(ロイヤル・オートモビル・クラブ)が定めた規格による馬力を概数で表したもので、それはピストン上部の表面積によって決まった(これが課税の根拠となる)。初期の7036cc型シルバーゴーストのボアは4 1/2インチで、ストロークも同一寸法であった。その後に続く50とは実際のエンジン出力の概数であり、およそ50bhp程度ということになる。英国車総覧の資料によれば、前期型の実馬力は48bhp/1200rpm、7428ccでは65bhp/1750rpmであった。当時はドライバーの力量も低く、ノンシンクロのギアボックスを扱うことを嫌う傾向にあり、ドライバーは、シフトダウンをせずに走らせようと、トップギアのみで走ろうとする傾向があった。そのためエンジンには柔軟性が求められ、最高出力よりも強いトルクが求められた。

40/50のエンジンを見ると、3気筒ユニットを2基連結したような構造になっていることがわかる。鋳鉄製シリンダーヘッドとアルミ合金製のクランクケースは、それぞれ6気筒分が一体だが、間に挟まる鋳鉄製ブロックは3気筒ずつの分割型としている。1本物のクランクシャフトにはカウンターウェイトの備えはないが7ベアリングで支持され、圧送式潤滑方式を採用していた。またバルブシステムはSVだが、その採用の理由のひとつが、OHVにするとプッシュロッドからの騒音が避けられないからであったという。さらにロイスは、信頼性を高めるために極力タイミングチェーンやベルトを用いずにタイミングギアを採用している。

電装品には電気技術者であるロイスの本領が発揮され、電気系統の品質は飛び抜けて上質だったといわれている。たとえばディストリビュータや振動式点火コイル、発電機は自社製であった。1気筒当たり2本のスパークプラグには、マグネトーとコイル/ディストリビュータの2系統から電力を供給し、始動時にはコイル/ディストリビュータを用い、走り出してエンジン回転が高まってからマグネトーで点火した。

シルバーゴーストの入念な工作精度を語る際によく引き合いの出されるエピソードに、セルモーターやクランクハンドルを使わずにエンジンを始動する話がある。その手順は、手動式の点火時期調整レバーを激しく動かし、ディストリビュータのポイントを断続させることで、シリンダー内のスパークプラグに火花を飛ばす。この時、圧縮上死点後にあるどこかのシリンダー内の混合気が燃え、エンジンが始動するというものだ。それはエンジン停止直後でなくとも、1日以上放置したあとでも可能であるという。圧縮比が3.2と低く、多気筒型であり、バルブの摺り合わせのほか、シリンダーに密着するピストンリングによる気密性が高ければ、どのようなエンジンでも充分に可能なことではある。だが、これは当時の車では他ではまず望めないことで、人々はその無音からの始動に驚嘆し、シルバーゴーストの名声が高まることになった。

オークションではヒストリーを調査した詳細な資料が公開されていることが一般的だ。今回のRRも同様なので、それを参考に稿を進めていきたい。

ここにご覧いただく、1914年製シルバーゴースト、シャシーナンバー 64ABは、1913年に、インドはウダイプールのマハラジャ、ファテシン・バハドゥール卿の注文によって製作が始まっている。完成したのは、1914年1月27日のことで、シャシーはコロニアル仕様と呼ばれる地上高を高めたもので、フーパー製トルペード型ボディを架装していた。1921年にマハラジャの元を離れてから、パキスタン、スコットランド、さらには南アフリカへ渡り、1979年になって英国に戻っている。

よく言われるように、シルバーゴーストではシャシーやエンジンがボディより長持ちするため、この間に何度かボディを架装し直している。現在のボディは10年ほど前に英国のスペシャリスト、スティーブ・ペニー・キャリッジ・ボディ社が、当時、多くのシルバーゴーストのボディを製作していた、CANN&Camden Townのスタイルに乗っ取って新造したものだ。


WB約3630mmのシャシーの最前端と最高端にアクスルを配置したかのようなレイアウトを生かしたボディスタイリングゆえに、伸びやかで軽快な印象を受ける。

文:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Words:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 写真:芳賀元昌、MCL Photography:Gensho HAGA, MCL

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