文句のつけようのないアストンマーティンDB5コンバーチブルを走らせる 

Photography:James Lipman



DB5コンバーチブルはこうした華々しさを持っているがゆえに映画には幾度も登場しており、イギリスの人気TV番組でもお馴染みだ。イタリアでは推理映画『ドッピア・ファシア』で、アメリカでもビーチ・ボーイズのヒット曲『リトル・ホンダ』のプロモーションビデオに登場したりもしている。これらは多分にイギリスの人気俳優であり監督でもあったベリル・リードがDB5コンバーチブルのオーナーだったことが関係しているのかもしれない。

もっと有名なところではチャールズ皇太子がいる。皇太子のアス
トン好きはよく知られるところで、DB6ヴォランテで60年代のオープン・アストンを所有するただひとりのロイヤルファミリーであるばかりでなく、当時18歳だった皇太子は、6歳の弟アンドリューのために、007に出てくる小道具を完璧に再現した子供サイズのDB5コンバーチブルをニューポート・パグネルに作らせたほどであった。

把握されているオーナー歴の中で、ひとつだけわからないことは、エスピノーズ夫人がどれだけの期間この車を手元に置いていたかだ。というのも、1973年にペンシルベニアのウィットマン・ボール家が長期間所有していたという記録があるからだ。WWB2記録簿によれば、その間にごく小さな修理がなされている。目的とするところは明らかで、73年から90年の間に、この車はアストンマーティン・オーナーズ・クラブ(AMOC)が主催するライムロック・コンクール・デレガンスで最優秀賞ほか数々のトロフィーを手にしているのである。88年秋には同クラブのツアー・コンクール・デレガンスで2位を獲得、その後もAMOCの走行イベントに参加しては何度も表彰台に上がっている。



ウィットマン・ボール家は1993年7月まで長きにわたって所有し、その後この車はリース会社を経営するコネティカット州スタンフォードのヨハン・カームの手に渡る。その後2005年11月にヨーロッパのオーナーが購入し、そこで内外ともに大規模なフルレストアが実施された。2006年1月から2007年5月まで長いレストア作業に当たったのはRSウィリアムズだ。エンジンはRSウィリアムズの手になる素晴らしい4.7リッター仕様に変更され、ボディもブラックパールに塗り替えられた。そのあと黒の幌とグレーのトリムが施され、6インチ幅のボラーニ製ワイヤホイール(アストンのファクトリーオプション)と215/70R15のエイボン・タイヤが与えられて現在の姿に至っている。

レストアは意匠面にとどまらず、ガソリンの給油口の下側に補強材を入れるという作業も含まれる。DB4もDB5もコンバーチブルは幌があるためにサルーンとは燃料タンクの位置も大きさも異なり、左右のリアフェンダーの内側にそれぞれ8ガロン(約30リッター)のタンクを格納しているのである(サルーンは19ガロン1個)。左右フェンダーにはフィラーキャップがそれぞれ付いているが、それらは後席にも近く、幌のヒンジ部分にも近いことから様々なトラブルの元となる。へたをするとリアクォーターピラーにクラック発生の原因にもなりかねない。それを未然に防ぐための対策が講じられたのだ。

編集翻訳:尾澤英彦 Hidehiko OZAWA Words:Paul Chudecki 

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