知られざる50年以上前に誕生したある1台の4WD│DB時代の計画

Images: Stuart Gibbard Archives/David Brown Tractor Club



そのきっかけとなったのは、DBT がトラクター・デモンストレーションチーム用として1949年に導入した発売直後のランドローバーだった。ローバー社から直接購入した80インチ・ホールベースのシリーズ1は、販売チームのサポートカーとして商品を満載した四輪トレーラーを牽引して国中を回り、その真価を発揮した。だが、ブラウンの好みとしては、ランドローバーは若干ながら実用的すぎた。


 
中・上流の英国人の常として、彼が愛好するのはカントリーサイドでのハンティングや射撃だった。このために、工場ではそれ以前にも、何台かのシューティングブレークを製作したことがあった。1955年にDBグループの一員となるコーチビルダーのティックフォードは、1954年と55年に2台のラゴンダ2.6リッターをベースに特製のブレークを製作していた。これら2台のラゴンダ・ブレークは、通常はグループの産業部門が販売した航空機牽引トラクラターのサービス車両として働き、また時には異なる看板を背負ってアストンマーティン・レーシングチームのサポートカーとして使われた。
 
ブラウンは、高級感のあるラゴンダのブレークとランドローバーのオフロード性能を結合させたなら、マルチパーパスの"ベスト"を造ることができると直感した。これは現代における、SUVの源流といえるが、あの時代の英国における富裕階層に属する彼にとって、"スポーツ"の意味するところは、カントリーサイドの狩猟などであり、そこが現代のSUVのライフスタイルイメージとは若干異なるかもしれない。
 
その当時、DBグループはアメリカのウイリス・オーバーランド社のために、自動車用ディーゼルエンジンを開発中だった。目的はディーゼルエンジンを搭載したウイリス・ジープをいくつかの海外市場で展開することで、特にインドではDBグループのボンベイのディストリビューターであるマヒンドラ&マヒンドラ社でライセンス生産が行われる予定だった。この秘密プロジェクトは、ウエストヨークシャー・ホルムファースのリーミルズにあるDBTの実験部門が担当したが、ウイリス社がコストを理由にこのプロジェクトから撤退した後も、ブラウンは引き続き自社内で四輪駆動車の開発を継続する決断をくだした。



その4×4プロジェクトは、ガスタービン、トルクコンバーター・トランスミッション、および特殊な軍用車両など新しいコンセプトを秘密裏に進めるために設立された、バーミンガム郊外アストンをベースとするDBグループの新部門ミッドランド・エンジニアリングに引き継がれた。このSUVプロジェクトを進めるため、ランドローバー開発担当のトム・バートンのアシスタントとして働いていた、ジョン・カレンをローバー社から引き抜いた。バートンの引き抜きも画策したが、こちらは不成功に終わった。


シャシーレイアウトは、100インチのホイールベース、フロントにコイル、リアにリーフスプリングという通常のレイアウトを採用した。トランスミッションはランドローバーのそれに似て、高・低速の2段のレシオを持ち、前輪を駆動するトランスファーボックスとパワーテイクオフを備えた。エンジンはガソリンとディーゼルの両方を設定したが、後者はウイリス計画から持ち越された"AD4/35-R42"と名付けられた高速仕様の4 気筒DB トラクターディーゼルで、3500rpmで42hpを発生した。このエンジンはリーミルズで組み立てられ、ジープMCに搭載してテストされた。

一方、ガソリンエンジンは、ラゴンダ社の買収によって手に入れたW.O.ベントレー設計のアストンLB6直列DOHC6気筒、またはSOHC ツインSU 付きのデチューン版だった。DBT では別個にクロスフローヘッドの高速6気筒エンジンも開発していたが、こちらはものにならなかった。

編集翻訳:小石原耕作 Transcreation:Kosaku KOISHIHARA( Ursus Page Makers) Words:Stuart Gibbard

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