知られざる50年以上前に誕生したある1台の4WD│DB時代の計画

Images: Stuart Gibbard Archives/David Brown Tractor Club



SUV開発と並行してブラウンにはまた別の計画があった。アストンマーティンがエンジンをLB6に置き換えることで不要となる旧い4気筒エンジンを、コスト削減の一環としてトラクターに使えないかという考えだった。DBTのチーフエンジニア、バート・アッシュフィールドは、この計画に驚きながらも、しぶしぶアストンマーティン・ラゴンダの開発エンジニアであった、ウィリー・ワトソンとのミーティングをセットした。だが、この4気筒エンジンをディーゼルにコンバートするアイデアは全社から否決され、会議は瞬く間に終わった。

この対案として、アッシュフィールドは過去に生産に至らなかったラゴンダの4リッター4気筒、"スクエア・ストローク"エンジンをディーゼル仕様に改装するというアイデアを提出。開発実験はワトソンとアッシュフィールドが議論を重ねた末、シリンダーヘッドに渦流室式燃焼室を採用して続けられた。これも生産に至ることはなかったが、一部の結果は後に新しいDBTのパワーユニット、クロスフロー型シリンダーヘッドを持つ最初のトラクターエンジンに活かされた。

この間、実用バーションSUVのプロトタイプにはAD4/35-R42型ディーゼルを搭載。リーミルズで組み立てられた
後にDBTのテスト部門に引き渡され、屋外試験のため運搬用トラクターとして運用された。関係者には撮影が厳禁され、唯一残された画像はピックアップボディの後半のみだった。最高機密であったにもかかわらず、ローバー社はDBグループがランドローバーの競合車種開発に取り組んでいることに感づき、またMIRAのテストコースでそれを目撃することすらあった。DBT のテストエンジニア、マイク・ブローデンは記憶を辿る。

「やや緩慢だったがしかしトルクは充分にあった。多分ギアリングがエンジンに合っていなかったのかもしれない。我々はできる限り走行距離を延ばすよう命じられていた。トラブルはまったくなかったよ」

開発は続行され、カレンとデンショウはミッドランド・エンジニアリングで設計の仕上げに入った。ラグジュアリーと実用バージョンのボディは両方ともアルミ製となった。実用バージョンのモックアップはプロトタイプの時よりさらにスタイリッシュなボディを与えられ、備えられたバッジによれば、これは"DBテラ・マジスター"と名付けられていた。

「ラグジュアリーバージョンのモックアップが過去にあったかどうか知らないが、ラゴンダのバッジをつける予定になっていたエステートボディのスタイリングは、明らかに実用バージョンのモックアップに酷似していた」

残念なことに、このプロジェクトはことごとくタイミングに恵まれていなかったといえる。1950年代後半まで、DBTは種々の製品の商品レンジを広げすぎていて、1958年には、コスト削減のためにジャック・トンプソンがフォードから引き抜かれて社長に就任した。後にアストンマーティンのジョン・ワイアーと交代することになるトンプソンは、DBTが好調であった間に組織を整理したが、その影響をまともに受けたのがこのSUVプロジェクトだった。開発の主流だったミッドランド・エンジニアリングは縮小されてコヴェントリーに移り、程なく閉鎖された。

1960年12月15日付の取締役会議事録には、DBコーポレーションがミッドランド・エンジニアリングを売却する決定が記録されている。これをもって、ローバー社はこの件の追求を止めたが、興味深いことに、ほぼ同時期にランドローバーのラグジュアリーバージョンを100インチのホイールベースで開発するという自社プロジェクトを開始。これが後年、レンジローバーとして結実する。DBTの実験部門の取締役、故アーサー・コールドウェルは、いつもローバーはデイヴィッド・ブラウンが実現できなかったラゴンダSUVのコンセプトをコピーしたのだと主張していた。

編集翻訳:小石原耕作 Transcreation:Kosaku KOISHIHARA( Ursus Page Makers) Words:Stuart Gibbard

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