激動の時代を生き抜いたエンツォ・フェラーリが最初に造った1台

ご覧になっているこの車は、紛れもなく最初のフェラーリである。ただし、名前はアウト・アビオ815 で、ロゴも異なり、フェラーリ社創業以前に造られた。エンツォ・フェラーリはアルファロメオを去ったとき、スクーデリア・フェラーリを畳んで、「4年間はフェラーリの名を冠したロードカーとレーシングカーを製造しない」という取り決めに署名しなければならなかった。

しかし、1940 年春、エンツォにはレーシングカーを造る用意が調っていた。そこで、スクーデリア時代と同じモデナのトレント・エ・トリエステ通りに新会社を設立する。取り決めをかいくぐるため、社名はアウト・アビオ・コストルツィオーニとし、念のためにロゴにも手を加えて、跳ね馬の前にレーシングカーを配した。モデル名の815は、8気筒の1.5リッターエンジンを搭載していたに因む。
 
車は、コストパフォーマンスと先進的なア
イデアを絶妙に組み合わせて、その年のミッレミリアに参戦できるものに仕上がった。シャシーはフィアット508 Cをモディファイし、排気量を下げたフィアット1100の4気筒エンジンを2基組み合わせたような直列8気筒を完成した。面白いことに、アルファロメオのパーツはネジ1本たりとも使っていない。

エンジンブロック、サンプ、バルブカバーは
新たにアルミニウムで鋳造。5ベアリングのクランクシャフトと16のカムを備えたカムシャフトも特注した。プロジェクトを率いたのは、アルベルト・マッシミーノ(1938年からフェラーリと組んできたエンジニア)とヴィットーリオ・ベレンターニだった。
 
まるで風が成形したかのようなボディをデ
ザイン、製造したのは、ミラノのカロッツェリア・トゥーリングだ。材質は、高価だが非常に軽量なイタルマグ35と呼ばれるマグネシム合金だった。2台が製造され、シャシーナンバー815/020はロタリオ・ランゴーニ・マキャヴェリに、よりベーシックな815/021はアルベルト・アスカリに与えら
れて、1940 年のミッレミリアに参戦した。いずれも完走はならなかったものの、高い潜在能力を示した。
 
数カ月後にイタリアは第二次世界大戦に
突入し、その後6 年間というもの、レーシングカーは夢のまた夢となった。ようやく平和が戻った1947年8月11日に、815/021はエンリコ・ベルトラキーニのドライブでペスカーラでのレースに出走する。その際、スタートですぐ前のグリッドについた車こそ、フランコ・コルテーゼの駆るフェラーリ125 S、フェラーリが初めて自分の名前を冠したレーシングカーだった。
 
815/020はクラッシュし、1950年代初
頭に姿を消した。一方、アスカリの815/021(写真)は激動の時代を生き抜き、現在は個人のコレクションとしてモデナ近郊に保管されている。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Massimo Delbò

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