1952年から同じフェラーリを所有し続ける人物│ファクトリーでエンツォにも

Photography Mark Dixon



「ちょうどその時にエンツォに会った。メカニックと話をしている時に彼は出て来て、彼の車の方に歩いていった。彼が自分で運転するなんて、考えてもみなかったよ」

「彼は僕に言ったんだ(ロドルフォは脅す様な声で)、『なんか用か?』僕は彼に、アメリカに車を持って行くところで、車を整備できるように、メカニックと話をしててところだと言った。『ふーん』と彼は言った。彼は無骨で感じの悪いヤツだったが、メカニックは彼のことを尊敬しているのが分かった」

「フェラーリをイタリアからヒューストンに送った。僕はある夕方それをヒューストンで受け取り、そこから120マイル程のテキサス州内のメキシコとの国境まで運転して行った。警察がやって来て『この外車は誰の車だ?』と聞き、スピード出すなよ、捕まえるぞ!国境を超えたらスピード出していいから』と言った。そして私は言われたとおりにやったんだ」

その時ロドルフォは34歳で、速い車に不慣れではなかった。彼の父親が病気になる以前、数年テキサスの大学で勉強していた。学業を切り上げ、家業を手伝うため、メキシコのモンテレイの実家へ帰った。彼は自分でもポルシェのディーラーや軽飛行機の販売を含む事業を展開し、メキシコのエリートたちと交流を持った。

「僕たちはフェラーリでロードツアーに行った。集まったらすぐに出かけたもんだ。メキシコを出て、テキサスの丘陵までドライブした。僕と僕の妻と友だち全員フェラーリを持っていた」



「マテオス大統領はフェラーリを持っていて、僕は彼とドライブしたものだ。私たちは馬が合い、彼はとても親切な紳士で、本当のフェラーリファンだった。当時、私たちはクレイジーな友だちらと一緒にメキシコシティーの外環状線を走った。結構な人数。僕たちは完全に守られていた、それが良くもあった。外環状線は僕たちのために閉ざされていたんだ」

「何年も後になって、大統領が乗っていた車をアメリア・アイランド・コンクールで見たんだ。僕の車はその横に駐車されていた。僕は『この車知ってると思うんだ。右のリアフェンダーが壊れてた』と言った」

「いったいどうしてそれを知ってるんだ?」オーナーが尋ねた。「僕もその場にいたからね」

Words David Lillywhite 抄訳:古川浩美 Transration: Hiroml FURUKAWA( Ruote Leggendarie )

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事