「醜いアヒルの子」と呼ばれたアルファロメオ・ジュリエッタ│最も重要な自動車遺産のひとつ

Photography:Thomas Macabelli

これは、高名なイタリアのコレクター、コラード・ロプレストが所有する11台のアルファロメオ・ジュリエッタの話である。1台残らずすべて歴史的価値の高い貴重なコレクションについて、マッシモ・デルボが話を聞いた。今回はジュリエッタ・スプリント・ヴェローチェ・ベルトーネ・プロトティーポをご紹介。

1954年 アルファロメオ・ジュリエッタ・スプリント・ヴェローチェ・ベルトーネ・プロトティーポ
この車は、カロッツェリア・ベルトーネとアルファロメオの歴史において決定的な役割を果たした。その重要性を示しているのが、エンジンベイにベルトーネのボディナンバーが2つ刻印されていることだ。誕生は1953~54年で、将来のスプリントを開発するテストカーとしてアルファロメオで造られた。ボディはアルファロメオ製で、デザインしたのはエンジニアのジュゼッペ・スカルナティだ。


ちなみにスカルナティは1957年にアルファのチェントロスティーレの責任者に抜擢され、1961年にジュリアを、1972年にアルフェッタをデザインする。この車は開発用のミュールカーで、そのボディは"醜いアヒルの子"とあだ名された。既に将来のスプリントと同じサイズと概形だったが、デザインとしてはごく基本的なもので、スタイリングは未完成だったのだ。
 
プロジェクトを完成させるため、スプリントのプロダクトマネージャーだったルドルフ・フルシュカはデザインのエキスパートを招集した。カロッツェリア・ギアのマリオ・ボアノに、フランコ・スカリオーネと若きジョルジェット・ジウジアーロ、そしてヌッチオ・ベルトーネその人である。まとめ役には外部コンサルタントとしてジョヴァンニ・ミケロッティを招いた。この豪華なチームが力を合わせ、史上屈指の美しさと称えられるジュリエッタ・スプリントのラインを生み出したのである。
 
ジュリエッタ・スプリントは、年間100~200台のペースでベルトーネが製造する予定だったが、1954年のトリノ・モーターショーで披露されると、その場で500台ものオーダーが入った。ベルトーネは2万台の契約を全うするため、近代的な生産ラインを擁する小規模メーカーへと変貌する。
 
一方、このシャシーナンバー2は、売却してはならないという指示の下、その後もアルファロメオでテストカーを務めた。しばらくはヴェローチェ・バージョンの開発でテストドライバーのブルーノ・ボニーニが使用したあと、1956年にカロッツェリア・ベルトーネに譲られ、新しいスプリントのボディを得た。その際に新たなボディナンバーが以前のナンバーのすぐ上に刻印されたのである。そして引き続きテストカーとして働いた。


 
1958年にはキャブレターメーカーのエドアルド・ウェバーに売却され、そこでもテストに使われた。その後はイタリア国内の個人に、さらには海外にも渡ったが、やがてイタリアに戻り、ロプレストのコレクションに加わった。

「これこそ、最も重要な自動車遺産のひとつです。歴史があまりに濃密なので、最も重要な部分はなかなか決められません。購入したときは惨めな状態だったが、私は最終的な仕様で維持することにしました。それならオリジナルの部分をほぼそのまま保存できるからです。本当は"醜いアヒルの子"の仕様にぜひ戻してみたかったのですが」

「エンジンベイに両方のボディナンバーが残っているのを目にしたときは嬉しかったですよ。幸い、あの頃にも車の原点を残しておこうと考える人がいたのでしょう。レストアする中で、別のボディを架装していた証拠がシャシーから見つかり、ほかにも、フロントのエアインテークに施されたクロームのラインなど、当初の状態を知る手がかりは残しました。RIAR(レジストロ・イタリアーノ・アルファロメオ)のマウリツィオ・タブッキのおかげで、アルファのテストドライバーだったボニーニ氏の残した資料が手に入りました。この車に施された作業の記録と、スプリントのフロントの案が3種類描かれたスケッチです。このシャシーナンバー2は、現存するスプリントのシャシーの中で最も古いのです。シャシーナンバー0001 は、やはりテストカーとして使われ、ベルトーネで変身したあと姿を消してしまいました」


11台のアルファロメオ・ジュリエッタ(順次記事追加)
・1955年 ジュリエッタ・スパイダー・ベルトーネ
・1957年 アルファロメオ・ジュリエッタ・スプリント・スペチアーレ・ベルトーネ・プロトティーポ
・1956年 ジュリエッタ・スプリント・ルッソ (エラボラツィオーネ・スペチアーレ・ベルトーネ)
・1955年 アルファロメオ・ジュリエッタ・スパイダー・ピニン・ファリーナ・プロトティーポ
・1961年 アルファロメオ・ジュリエッタSZ"コーダトロンカ"プロトティーポ
・1955年 アルファロメオ・ジュリエッタ・スパイダー・ピニン・ファリーナ"コルサ"
・1954年 アルファロメオ・ジュリエッタ・スプリント・ヴェローチェ・ベルトーネ・プロトティーポ
・1956年 ジュリエッタ・スプリント・ヴェローチェ"モルテーニ・スペチアーレ"
・1958年 アルファロメオ・ジュリエッタ・フィッソーレ、1958年アルファロメオ・ジュリエッタTIモレッティ、1960年ジュリエッタTIシオネリ

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Massimo Delbò Photography:Thomas Macabelli Thanks to:Swiss Museum of Transport Lucerne, www.verkehrshaus.ch, Serenella Ar

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