車と、人と、イタリアと。クラシックカーで彩り巡る人生のすすめ



1927年にはじまったミッレミリアは、公道レースとして、1957年まで開催されていた。1941年~1946年は第二次世界大戦の影響を受け中断されていたが、1947年に再開。しかし、1957年に死亡事故が起きたことでその歴史に幕を閉じることとなった。そして20年が経ち、タイムトライアル方式のクラシックカーラリー「ミッレミリア・ストーリカ」として復活したのである。黎明期のミッレミリアの歴史や雰囲気を大切にするため、参加できる車両は、当時参戦していた車とその同型車のみ。ブレシアをスタートし、ローマへと南下、そこからブレシアに戻る、イタリア全土1000マイル(1600km)を4日間で巡るルートだ。しかし、「世界で一番美しいレース」といわれる日々は、食事をゆっくり取る時間すらないのが実態だ。


 
これまで最も危険だったことを伺ってみると、発せられた物語は想像以上にスリリングなものであった。初めて瀧川氏が奥様とミッレミリアに参加したときのこと。夜の田舎道でバッテリーが尽きそうになり、ライトを灯ければ完全にアウトという状況に陥った。2人で懐中電灯を持ち、照らしながら走ってゆく。無論、先を照らしているのは自分たちが進んでゆく道を認識するためであろうと考えるのが普通だ。とはいっても、この状況は“普通”ではない。では、先を照らすためでないのなら、何のために懐中電灯を持っていたというのだろうか。その答えは、自分たちの存在を対向車に分からせるため。そこにあった危機というのはそれだけでなく、いつ崖から落ちてもおかしくないような場所であったということ。ひとりはシートベルトを着け、ひとりは外していた。理由はなぜか? 何かあってもどちらかが助かるように。まさしく命懸けの挑戦だ。そんな困難を乗り越えながら迎えたゴールは、本当に感動したと話す。同じ経験をしたことがある夫婦は世界中探してもいないであろう。
 
4日間にわたって、24時間ずっと過酷なラリーを共にすることにより発生する人間同士の問題もあるはずだが、過ごす時間と比例して、生まれる絆は強くなるのではないだろうか。瀧川氏は、ミッレミリアは決して楽ではないことを重々に知りながらも挑戦を続けている。出場をはじめた頃は、とにかく好成績を残すことを目標としていたが、最近では楽しんで走ることに重点を置いているとのこと。ミッレミリアの日が近くなってくると、「またあの過酷な日々がはじまるのか」といつも思うが、いざスタートを切ると、ゴールをすることへの闘志が燃えてくるのだそう。それほどにミッレミリアには、人間をやみつきにさせる魅力を持っている。


 
たいへんなのは、人間だけではない。イタリアの道は石畳が多く、レース後には大きく車が傷んでしまうのだ。そのため、レース前と後のメンテナンスは綿密に行う必要があるとのこと。自分のことのように、むしろ自分のこと以上に、車へ入念な準備を施すのだ。
 


2018年度のミッレミリアには、三兄弟のご子息の中で最も車好きである三男と出場した。ミッレミリアに一緒にでないかと誘ったところ、ふたつ返事であったとか。「親子でミッレミリアに出場」と聞くだけでも、多くのクラシックカー好きにとってはなんとも素敵な響きであろう。さらには、よい成績でゴールを果たし、2人で表彰台にも乗ったのだ。「親子で共にゴールを出来て、良い成績を残せたことがとても嬉しくて素晴らしい思い出になった」と話す瀧川氏は、どこまでも幸せそうだ。


 
ここで気になったのは、いずれ子供たちに車を譲る予定はあるのかということである。もちろん、信頼のある友人や知り合い同士で車を譲り合うというケースも多いだろうが、ラフェスタ ミッレミリアなどにも頻繁に親子で出場しているとなると、やはりそのまま受け継がれるものなのであろうか。実際に、それについて伺ってみた。「息子に譲るのもよいけれど、必ずしも、そうしなければいけないというわけではないですね。とにかく、次の世代につなげていくことが重要だと思います。いつか、息子夫婦とダブル出場もしてみたいです」というのがその答えであった。現に、親子夫婦でミッレミリアに出場している人たちも少なくないそうだ。ミッレミリアに出場することを夢見ている人もいれば、更に進んだ野望を持っている人もいるわけだ。

文:オクタン日本版編集部 写真:佐藤亮太 写真提供:ミッレミリア、瀧川弘幸氏 Words: Octane Japan Photography: Ryota SATO Images:Mille Miglia, Hiroyuki TAKIGAWA

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