「世にも数奇な物語」を紡いだランボルギーニ・カウンタックLP400S

Photography:Yoshito YANAGIDA

スーパーカーにまつわる様々な憶測や、語り継がれるべきエピソードは多く存在する。その中でも、今回の主役はある数奇な運命を辿ってきたランボルギーニ・カウンタックLP400S (#1121026)である。現在、日本にある#1121026のヒストリーを辿ってみよう。

今となってはスーパーカーの元祖であり歴史に残る名車というにふさわしいランボルギーニ・カウンタックだが、16年間のモデルライフで生産された台数はたったの2000台程度でしかない。しかもそのうちおよそ650台は、88年から二年間に渡って造られた最終モデル25thアニバーサリーで、これはいってみれば世界的好景気からの"特需"だった。そのひとつ前のクワトロバルボーレも年産200台程度だったから、頑張って造られたほうだろう。
 
それにひきかえ初期のLP400やLP400Sの70年代後半といえば、せいぜい年産50台前後が関の山だった。顧客へのデリバリーは遅れに遅れていた(全額前払いだったにも関わらず!)。ランボルギーニにとって未来のアイコンともいうべきスーパーカーの生まれた時代は、皮肉にも会社が最も厳しい経営環境にあったのだった。


 
それゆえかえって数少ないVIPカスタマーとの密接かつダイレクトな関係が築かれ、後世に語り継がれる"世にも数奇な物語"をいくつも紡いだということもできるだろう。かのウォルター・ウルフとジャンパオロ・ダラーラによるカウンタックの"公式"カスタマイズ(3台のウルフカウンタック)や、ドイツ人カスタマーによる日本でも人気のミウラ"イオタ"SVRなどはその際たるストーリーである。ランボルギーニ社が病んでいなければ、ウルフカウンタックやイオタSVRに日本の子供たちが狂喜乱舞することもなかった。スーパーカーブームはもう少し味気ないものになっていたかも知れない。
 
ウルフやSVRの他にも、昔からランボルギーニファンの多い日本には数奇な運命を辿ったスペシャルな個体がいくつか存在する。今回の主人公、ヨール・カウンタックもその一台に数えていい。

文:西川淳 写真:柳田由人 Words:Jun NISHIKAWA Photography:Yoshito YANAGIDA 取材協力:エーリストガレージ Thanks to:A-List Garage(TEL:03-3784-2211 )

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