たった19歳でレーシング・フェラーリを購入したジム・ホールから受け継ぐ0510M

Photography:Ingo Schmoldt



つまり、2年間で2度目の"里帰り"をすることになったのだ。この作業には、ボディの全幅をカバーするウィンドウスクリーンの装着やボディ左側に2枚目のドアを追加することなどが含まれていた。このとき、スカリエッティによってボディは赤にペイントされ、エンジンはオーバーホールを受けている。
 
ところが、作業が終わったときにはセブリングに間に合わなくなることが判明。それでもジム・ホールは1957年の終わりまでにこのモンツァでいくつかのレースに出場し、参戦は1958年以降も続いた。1958年の3月にルイジアナ州のマンスフィールドで開催されたレースでは0510Mに幸運の女神が微笑み、勝利を手に入れている。やがて、ホールは7500ドルでフェラーリを売りに出すが、結果的に誰とも商談がまとまらず、テキサスにあるシャパラルの施設に長く保管されることとなった。
 
1990年代半ば、ジム・ホールのかつてのチーフメカニックだったトロイ・ロジャースがモンツァの外観をレストアし、ボディカラーはそれまでの赤からもとの白とブルーに戻された。レストアを受けた0510Mはキャロル・シェルビーの特別展が催された1997年のモントレー・ヒストリック・オートモビル・レースに姿を現す。モンツァが再びモントレーを訪れたのは、その8年後のことだ。今度はフィル・ヒルのエキシビションがおこわれたペブルビーチに登場したのである。



2016年、パトリック・オーティスと妻のキャロラインはRMサザビーズのモントレー・オークションを通じ、ジム・ホールから0510Mを購入。エンツォ時代のフェラーリを所有するオーナーであれば、カリフォルニアのバークリーに本拠を置くパトリック・オーティスと彼のショップを知らない者はいないだろう。なにしろ、フェラーリのエンジンやメカニズムのレストアラーとして、彼らは北米でもっとも高い評価を得ているショップのひとつなのだ。1950年代にアルフ・フランシス、スターリング・モスなどのメカニック見習いとして修行を積むと、後にロブ・ウォーカー・レーシングでチーフメカニックとして活躍した。

彼はレストレーションのほかにも、フェラーリのコンクールで審査員を務めることもある。息子のタッツィオはフォーミュラ・マツダで4度チャンピオンに輝いたほどの腕利きドライバーで、2015年からは父の会社に勤務している。レーシングドライバーとしてアメリカのIMSAプロトタイプ・チャレンジに参戦した経験も有する。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words and Photography:Ingo Schmoldt

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事