悪党を捕まえるのに必要なものはフェラーリ ?! パトカーだった一台の物語

Photography:Tom Gidden


 
ほとんど無言だった隊員たちのなかから、「フェラーリです!」との声があがった。その声の主がスパタフォーラだった。ヴィカーリの問いかけが修辞的なものだったかどうかもわからず、スパタフォーラの意見を聞いて何人かの顔は青ざめたという。しかし、ヴィカーリは本気だった。そして、スパタフォーラの要望は聞き入れられ、ヴィカーリはフェラーリを与えることを約束した。フェラーリとイタリア警察の歴史において、新しいページが開かれることになった。


 
エンツォ・フェラーリはもともと2+2シーターを好み、フェラーリ社の立ち上げ間もない頃から166のシャシーをベースにレーシングバージョンよりもずっと乗りやすく、ドライバーに"優しい"2+2シーターを造っていた。250GTが成功を収めた後、その2+2バージョンが市販されるのは時間の問題だった。実際、1960年には一般的に"250 GTE"として知られる250GT2+2が発表された。市販フェラーリとしては初の風洞でリファインされたボディを持っていた。
 
250GTEは1960年のル・マン24時間レースで初めてお目見えし、レースディレクターのためのペースカーとして使用され、10月のパリ・サロンで公式デビューした。250GTEは250GTで採用された新しいシャシー(ティーポ 508E)と同じホイールベース2600mmだが、エンジンを20cmほど前方に移動させたことで後席のスペースを確保していた。


 
エンジンは、もちろん当時のフェラーリの代表格であるジョアッキーノ・コロンボ設計の排気量2953cc、最高出力240bhpのティーポ128 Eを搭載していた。
 
ローマのスクアドラ・モビリの部下たちとの約束を守るために、ヴィカーリがマラネロに発注したのが250GTEだった。ピニンファリーナは1962年8月末に"3999"にボディを架装し、11月に完成させた。黒いボディにタンの本革内装が組み合わせられ、仕様書には「Vettura Polizia (警察車両)」と明記されているため、特別オーダーだったことがわかる。


トレーニングのため4名を派遣!後編へ続く

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)  Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Massimo Delbò Photography:Tom Gidden 取材協力:Girardo(girardo.com )

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