2台のブガッティを時速300kmで乗り比べ!|ヴェイロンとシロンを限界まで踏む

Graeme Fordham / Bugatti

内燃機関で1000bhpを叩き出す。そんな時代がいよいよ終わりを告げようとしているおりもおり、ブガッティのヴェイロンとシロンを駆ってアルプスを超えることになった。限界まで踏んでみようじゃないか。ひょっとすると最後のチャンスになるかもしれないのだから…


速度でスリルを味わえるか否かは、結局のところ、駆ける距離がモノをいう。ブガッティヴェイロンでアウトバーンの速度無制限区間を走っているようなときのスリルは、どう考えても想像の通りであるに違いない。ことにヴェイロンよりさらにクイックなシロンの後を必死に追いすがっているような状況においてはそうだ。

300km/hのクルージング


けれども、たとえば比較的交通量のあるなかを、ほんの短い距離でさえ恐ろしい速度に達してしまう2台を巧みに操る、なんてことは、一般車両との距離を安全に保ちながら走ることに比べると、さほどハラハラしないものだったりする。もちろんW16エンジンの咆哮を聴きつつ、ぼやける路面を眺めながら味わう時速300kmのスリルは、気分が悪くなるくらい強烈だ。とはいえ数百m先の走行車線で材木トラックを追い抜こうと方向指示器を出した一般車両を見つけた時のほうが、よっぽどスリリングなものである。こんな速度で走っていたら、三つ数えるうちに追いついてしまうような距離なのだから…



とはいえ、こんな体験もそろそろできなくなりそうだ。アウトバーンの速度制限区間は年々増えているというし、何より内燃機関の終焉とともにこの手のハイパーカーが尋常ならざる最高速度を誇る時代も終わろうとしている。ブガッティでさえ電動の未来を模索しているのだ。EVには様々な美点があるけれども、高速巡航は得意じゃない。4桁の最高出力を謳う合法的なロードカーがあった今という時代が、ブガッティの戦前におけるレースでの偉業と並び称される時が迫ってきたと言っていい。

二人のカリスマ


有名な自動車ブランドというものはたいてい、ひとりのカリスマによって築かれるものだ。しかし、ブガッティ史には二人いた。創始者のエットーレ・ブガッティがもちろんそのひとりで、戦前に様々な名車を世に送り出し、ラグジュアリーブランドの先駆となった。もうひとりはエットーレと並び立つ大物、そう、フェルディナント・ピエヒだ。彼の強い意志がなければヴェイロンは生まれてこなかったし、そもそもブガッティ・ブランドがVWグループに買収されることもなかったに違いない。

その前に一度、ブガッティは復活している。1987年のことだ。ロマーノ・アルティオーリがイタリアで再興し、クワッド・ターボチャージャーのスーパーカー、EB110を造り上げた。当時、EB110は世界最速を誇ったが、この一度目の復活は早々に破綻し、"幸いにも"ブガッティのルネサンスとはならなかった。

フェルディナント・ポルシェ博士の孫として誕生したピエヒは、生まれながらにして自動車産業界の貴種だったわけだが、ポルシェ917やアウディクワトロといった野心的なプロジェクトを通じて自らのエンジニアリング的な才能も証明してみせる。同時に決断力のあるリーダースタイルにも磨きをかけた。1990年代半ばにはVWのCEOにまで上り詰め、一連のブランド買収とエンジニアリング的にも特筆すべき数々のプロジェクトを仕掛けながら、一大コングロマリットを育て上げる。なかでも最も壮大なプロジェクトは、当時VWのパワートレイン開発部隊を率いていたカール– ハインツ・ノイマンと共に東京から名古屋へと移動する最中の悪戯書きに端を発している。おそらく新幹線の窓越しに見える景色に飽きたのだろう、ピエヒは紙を取り出すとスケッチをし始めた。それは狭角V型のVR6ユニットを三つ組み合わせた18気筒エンジンだった。

もっとも当時のVWグループには、そんな極めつけのエンジンを積んでしかるべき超高級車などなかった。英国ヴィッカーズからベントレーとロールス・ロイス・ブランドを買収する交渉の最中だったが、最後の最後でBMWにロールスをかっ浚われてしまう。ロールス・ロイスこそ、18気筒エンジンを積むにふさわしいとピエヒの意中にあったブランドだったのだ。ちょうどその頃、ピエヒの末っ子グレゴールがブガッティタイプ57アトランティークのミニチュアをほしがった。そこにヒントを得たともいわれている。いずれにしても数カ月後にはブガッティの商標をVWは買い取っていた。

W型16気筒


元々のアイデアと実際にヴェイロンへ積まれたエンジンとの間には明らかな違いがある。それでも世界中のモーターショーで発表された初期のコンセプトカー、EB118、EB218、EB18/3シロン、そしてEB18/4ヴェイロンの4台にはピエヒのアイデアであった自然吸気18気筒エンジンが積まれていた。けれども実際にエンジニアチームがそれらの仕様を技術的に検討し始めるとほどなく、このままではピエヒの求めた野心的な性能はもちろん、お気に入りだったエットーレ自身のモットー、「唯一無比でなければブガッティではない」には遠く及ばないことが分かってきたのだった。

2000年のジュネーヴ・ショーにて、ブガッティが最高速400km/h以上、0-100km/h加速3秒以内、それでいて日常利用にも十分耐えうる1001PSのハイパーカーを生産するとピエヒは発表した。これらの目標を達成するべく、搭載されるエンジンはW18NA型ではなく、2個の狭角V8を共通のクランクで繋ぎ、過給機を4基積んだW16クアッドターボに変更されることになった。その後ヴェイロンの開発には莫大な資金が注ぎ込まれ、ついに2005年、デビューすることになる。

編集翻訳:西川 淳 Transcreation:Jun NISHIKAWA Words:Mike Duff Photography:Graeme Fordham / Bugatti

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