シートには「月面クレーター」が並ぶ !? シトロエンSMエスパスの斬新すぎるインテリア!

Dennis Noten

この記事は【美を追求したシトロエンSMの物語|「エスパス」と名付けられた車とは】の続きです。



SMエスパスのいま


このSMエスパスは、静かな余生を送っていた。ブルー・デルタに塗り直されたあと、レトロモビルで何度か展示され、ヌイイシュルセーヌのシトロエンのロビーにも飾られた。2012年に、ル・マン・クラシックで開催されたアールキュリアルのオークションに、ユーリエが所有する多くの車両が出品された。このエスパスもその1台で、SMについてよく知っていた元シトロエン・ディーラーのドゥニ・ジョアノンが手に入れた。ジョアノンは、エスパスを2015年のシャンティイ・アート&エレガンスに出品している。

2018年のレトロモビルで、ジョアノンはベルギーのコレクターでSMのエンスージアストであるティエリー・ドゥアックと出会った。娘のイザベルにエスパスを譲ったあとだったので、金額をめぐって回り道をしたものの、最終的には合意に達した。ドゥアックは、友人やスペシャリストと話すうちに、エスパスを1971年パリ・サロンに登場したときの、オリジナルな状態にレストアするべきだと考えるようになった。イヴ・デュベルナールもレストアのお目付役として積極的に関わり、重要な役割を果たした。

エスパスを分解してみると、リアバンパーや後部ライトの裏側とボンネットの下に、オリジナルの濃紫のペイントがわずかに残っていた。メカニカル面に関しては、すべて標準のSMと同じなのでレストアは順調に進んだが、ボディの大部分は特製だったため、数多くの難題にぶつかった。

伸縮するルーフとスラットについて、参考になる文献は存在しなかった。しかも、小型のモーターはとうの昔に壊れ、それ以来、ルーフは手動で開閉するしかない状態だった。ドゥアックのチームはすべてを分解し、モーターをリビルドして、あらゆるコンポーネントをレストアした(その数は気が遠くなるほど多かった)。摩耗したパーツは、新たに製作して交換した。通常のSMでは、後部のサイドウィンドウは固定されているが、エスパスではルーフと共に開く。この機構もエスパス専用で、もちろん説明書などなかった。ちなみに、この部分は1971年のパリ・サロンに間に合わず、宣伝用の写真撮影までに何とか修理が完了した。

最も頭を悩ませたのが、リアウィンドウを覆うルーバーを正確に並べることだ。苦労を重ねた末に、木型を造ってようやく解決した。ルーバーは、3Dで設計したあと、アルミニウムで製作し、装着する際も、ペイントを傷めないように細心の注意を払った。ホイールカバーは、真鍮の熟練工に依頼して、ゼロから作り上げた。クロームめっきを施した長方形のテールパイプも同様だ。車内はさらにビスポークのパーツが多く、"月面クレーター"風の型押しが並ぶフロントシートは新たにしつらえた。

さながら宇宙船


完成は2021年2月のことだ。キーを手渡されて、私は信じられない気持ちだった。子どもの頃、このワンオフを雑誌でほれぼれと眺めたのを覚えている。学校の友人に写真を見せたこともあった。その子の父親が、どの車を買うべきか迷っているというので…。



外観はまさにショーカーだ。そのため公道では少々浮いて見える。とはいえ、オプロンが生み出した傑作をデュベルナールが改変したことに疑念があったとしても、この気品を前にすれば消え失せるだろう。人を魅了する不思議な力があるのだ。乗り込むと、今度はあのユニークなインテリアに包まれる。“クレーター”が並ぶシートはソファのように快適だ。

中央の Tバーにシーリングライトが並ぶ様は、いかにも1970年代風で、優雅な化粧室といったムードを醸し出している。ルーバーを通して見る後方視界については、「事足りる」とだけいっておこう。

後部のサイドウィンドウも含め、すべての窓を下げたら、ルーフコンソールのボタンひとつでルーフが開く。しかも、左右のルーフを個別に開閉できるのである。まるでUFOに乗っている気分だ。半世紀前には、行き交う車もストップし、誰もが口をあんぐり開けて見たに違いない。残りの操作系とドライビングの感触は標準のSMと同じだが、オープンルー
フでありながら、スカットルシェイクがまったくないことに舌を巻いた。剛性は標準のSMと同等のようだ。

ただし、手の込んだスラットはもちろん、開閉メカニズムも複雑なので、当然、限界はある。スタックすることもあるというが、幸い、トラブルは出なかった。何度も開閉しないようにとドゥアックが釘を刺したので、その賢明な求めに私たちはおとなしく従ったのだ。高速道路でルーフを閉じて走行すると、空気がスラットに当たって風切り音が発生する。これは、防音を改善すれば解決するだろう。実際、もう1台のエスパスのオーナーは、風切り音はしないと証言している。私たちは、防水も不完全であることに気づくはめになったが…。

だが、そんなことはどうでもいい。ルーフを開けて走る快感は何ものにも代えがたいからだ。ユニークなTトップルーフは、固定ルーフと同じように密閉空間を作り出す一方で、スラットを畳めば、コンバーチブルとまったく同じ楽しみをもたらす。まさに両者の“いいとこ取り”である。滑らかな堂々とした走りなら、どのSMでも楽しめるが、ルーフを開けた状態で経験すると、極上の乗り心地に心が澄みわたる。いわば走るヨガだ。すべてのサイドウィンドウを下ろして走る感覚も、通常のSMでは味わえない。



面白いことに、他の車にまじって走ると、静かな感嘆の眼差しをひしひしと感じた。エスパスの優雅だが抑制の効いたデザインの成せる技だ。だから驚くにはあたらないが、この数日後にベルギーのザウテ・コンクールに出品されると、エスパスは審査員をうならせて、最優秀賞に輝いた。

では、エスパスの歴史的な価値についてはどうだろうか。これは今日に至るまで、ユーリエの中で最も名高い作品だ。加えて、経済と産業が大きく発展した戦後フランスの「栄光の30年間」において、有終の美を飾ったデザインといえる。1973年の石油危機で幕を閉じたあの時代のフランスを、最もよく象徴していたのがSMだった。このユーリエの作品は、手の込んだスラットを抜きにしても、その中で最も華麗な1台だ。エスパスを目の当たりにすれば、あのココ・シャネルやイヴ・サン・ローランでさえ、私たちと同じように、感嘆で言葉を失ったに違いない。


編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵
Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) Translation:Megumi KINOSHITA
Words:Marc Sonnery Photography:Dennis Noten
THANKS TO Courtrai rose garden, www.rozentuinkortrijk.be.

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事