ラ・フェスタミッレミリア25回記念大会|育んできたことは「仲間」の絆

Ryota SATO, Kazunobu KATAOKA



完走した達成感こそが最高の褒美


初日は原宿スタートから表参道を通過し、東北道で一路、裏磐梯を目指す。二日目はさらに北上して福島飯坂温泉などを通り、日光で身体を休める。この日はルート最長の420km走破である。3日目は日光、矢板、大洗を周って成田まで。最終日はポルシェエクスペリエンスセンターなど真新しい施設を含めた千葉の魅力を満喫し、幕張のバレンタイン通りでゴールとなる。その後ガラパーティと表彰式の会場となる東京のホテルオークラに各組毎で移動していった。

流麗なデザインが魅力の 1947年 Cisitaria(チシタリア)202

年式順にスタートすることが一般的。ラ・フェスタミッレミリア2022には10台近いブガッティが参加していた。

訪れる各地域と長い時間を掛けて良好な関係性を築いてきたこともラ・フェスタミッレミリアの優れたポイントであろう。どの街に行っても老若男女を問わず、ペットまでが歓迎してくれる。 1950年Jaguar XK120 OTS

千葉木更津に9月にオープンしたばかりのポルシェエクスペリエンスセンター。全周2.1kmのハンドリングトラックを使用してのPCは痛快であった。

台風 14号が接近する中で始まった「La Festa Mille Miglia25回記念大会」だったが、ゴール時における幕張総合高校ブラスバンド部の隆盛なる演奏の中、各参加者の気持ちのこもった熱いコメントの数々が、その成功を表していた。

1953年Austin Healey 100/4 BN1一時土砂降りの雨に見舞われたが、ホロの有無に関わらず雨対策は慣れたものだ。 

大排気量の迫力の走りで魅了する1937年ALVIS 4.3L Vanden PlasTourer

ゴール。千葉幕張のバレンタイン通りには幕張総合高校ブラスバンド部による演奏や、地元 ECCに通う児童によるチェッカーフラッグなどが華を添えてくれた。

ホテルオークラの大きなバンケットルームでは、参加者にはまず、歴史の深さを編集した動画が大きなスクリーンに映し出される。次いで25回もの開催を続けた主催フォルツァ増田晴男氏への称賛と記念品の贈答。その後に華やかなエンターテインメントを挟んで表彰式が執り行われた。

主催であるフォルツァ代表、増田晴男氏のセンスがなければ、日本にラ・フェスタミッレミリアは存在しなかった。

優勝は2位に17,000点差という大差を付けた竹元京人・淳子組が獲得した。竹元組ご夫妻は通算13回目の優勝であり、さらにこのラ・フェスタミッレミリアにおいては4連覇を達成したことになる。次いで2位はヴェテランカークラブ東京(VCCT)会長である瀧川弘幸・雄組という順位となった。

4回連覇で13回目の優勝を果たしたCar No.3 BugattiT35を駆る竹元京人・淳子組。スピーチにて「このラフェスタミッレミリアを通じて得られたものは、この優勝 202225th Anniversaryという記録だけではなく、貴重な仲間との絆である」とコメント。

参加車両83組中、完走扱いとなったチームは68組。この完走率は例年に比べれば多いほうであり、決して容易いラリーではないことがよくわかる。

P.C.能力テストが100回超と、より競技志向の強くなった同大会であるが、ある参加者はゴール時に「すでに本国Mille Migliaを超えた」とさえコメントしている。関西地区で毎春開催されるラ・フェスタプリマヴェーラとの色分けもより鮮明になり、ラ・フェスタ ミッレミリアは、さらに魅力あるイベントに成長していくことは間違いない。


文:オクタン日本版編集部 写真:片岡一史、佐藤亮太
Words:Octane Japan Photography:Kazunobu KATAOKA, Ryota SATO

オクタン日本版編集部

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