シューマッハ親子がドライブしたF1マシン「ジョーダン・フォード191」

Bonhams



ミハエル・シューマッハが若い新人ドライバーとしてF1に与えたインパクトは、エディ・ジョーダンの新チームが与えたインパクトに匹敵するものであった。シーズン終了後、『オートコース』誌はこう評している。

「新参者がこれほどのインパクトを与えたことは稀である。チーム7UPジョーダンは半年間でF1の不可解な神話をいくつも破り、その過程で既存チームの1つや2つは中途半端なアマチュアであることを露呈させた。エディ・ジョーダンのおしゃべりな性格を考えると、彼のチームがパドックで話題になるのは当然だろう」

「ジョーダンがフォーミュラ3000からF1へのステップアップを表明したとき、このアイルランド人はようやく報いを受けるのだと思われた。その後フォード・コスワースHBエンジンを搭載することになったことで、その予感は的中した」

デビュー戦のアリゾナ州フェニックスでは、デ・チェザリスがギアをミスしてエンジンを破損し、予選落ちしてしまうという残念な結果に終わった。しかし、それ以降、デ・チェザリスとチームは、一度も悔しい結果を出すことはなかった。設計者のゲイリー・アンダーソンは、この新車での予選を15位か17位あたりと、下位のあたりに位置するものだと予想していた。しかし、第2戦カナダGPのスターティンググリッドは10位と13位につけ、さらにカナダGPでは、デ・チェザリスが4位、ガショーが5位となり、エディ・ジョーダンに初のF1世界選手権ポイントをもたらしたのであった。



しかしガショーは、シーズン半ばにロンドンで裁判を起こされ、交通事故から身を守るために催涙スプレーを使用したとされ、1年半の実刑判決を受けることになった。

これをきっかけに、エディ・ジョーダンは次戦ベルギーGPの代役ドライバーを探し始め、ドイツのメルセデス・ベンツ耐久レースの若きスター、ミハエル・シューマッハを抜擢する。これは、ジョーダンのキャリアにおいて最も幸運な瞬間の一つであった。ある報道では、シューマッハはこう述べられている。

「天性の才能の持ち主で、初めて走るサーキット(スパ・フランコルシャン、ベルギーGPのコース)にも関わらず簡単に7番グリッドを獲得し、その上終始彼はリラックスしていた」

クラッチのトラブルでレースは短時間で終わってしまったが、ジョーダンは明らかに勝者だった。



しかし、それも長くは続かない。2週間後、チームがモンツァに到着したとき、ジョーダンは、シューマッハのアドバイザーが彼をベネトン・フォードに誘った、つまり自分が出し抜かれたことを知った。1994年、そんな中シューマッハは記録的な7度のドライバーズタイトルのうちの1つを、易々と獲得する。

この1991年のF1世界選手権での使用後、ジョーダン・フォード「191-6」はベルギーのベテラン耐久レースドライバーでコレクターのジャン・ブーリス・ブラトンに売却され、彼のコレクションで2005年まで保管された。その後、ディディエ・シルジュが購入し、時折BOSS GPシリーズに参戦、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにもこの車で参加した。この歴史に残るF1マシンは、今日に至るまで稼働状態を保っており、約650bhpを誇るV6フォードHBエンジンは、1991年にエンジンをリビルドしたラングフォード・パフォーマンス・エンジニアリング社によって、再びリビルドが行われた。この車は一度カンピオンコレクションに収蔵された後、2020年に現在の所有者に引き渡された。

最近では、2021年7月、ミハエルのデビュー30周年を祝ってミック・シューマッハがシルバーストーンでドライブしたというのが大きなニュースだろう。このマシンは、シューマッハ親子がドライブした数少ないレーシングカーの1台となったのである。



このジョーダン・フォード191は、7度のワールドチャンピオンとなったミハエル・シューマッハのF1デビューだけでなく、1991年のベルギーGPにおけるアンドレア・デ・チェザリスの素晴らしい走りや、チーム7UPジョーダンのデビューシーズンの予想外の成功をも思い起こさせる走りを見せてくれる。

そして、2018年には、「The Daily Telegraph」により、「Best Looking F1 Car of All Time(史上最高のF1車)」と評価された。歴史に残るF1マシンは数多くあるが、このマシンは特にその中でも光り輝く一台だろう。

オクタン日本版編集部

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