匿名オーナーが注文した、ロールス・ロイスのようなメルセデス・ベンツ!?

Bonhams

1966年、メルセデス・ベンツのエンジニア、エーリッヒ・ヴァクセンベルガーはW109モデルのエンジンルームに600リムジンの巨大な6.3リッターV8エンジンを搭載する個人プロジェクトを立ち上げた。ロングホイールベースのW109は、この大排気量エンジンがすこぶる相性が良かった。1968年にはジュネーヴ・モーターショーにてコンセプトカーが披露され、300SEL6.3の本格生産が決まった。

ラグジュアリィサルーンにマッスルカーのパフォーマンスが組み合わせられた300SEL6.3は人気を博し、1968年から1972年にかけて合計6,526台が世界中の富裕層の元に届けられた。発売当時、300 SEL 6.3は4ドアの市販車としては世界最速の部類に入り、巡航速度は時速125マイル(200km/h)に達していた。

1968年の『Road & Track』誌の特集で300 SEL 6.3を「世界で最も偉大なセダン」と結論づけた。この車のパワーに感銘を受けた編集者たちはオレンジ・カウンティ・インターナショナル・レースウェイで行われたドラッグレースにまで参加し白星をあげ続け唯一、427エンジンを搭載したコルベットにだけは負けたそうだ。

そんな300SEL6.3だが“吊るし”の状態では満足できなかったのが、匿名を貫いているオランダ人実業家である。メルセデス・ベンツに300SEL6.3ベースのコンバーチブルやクーペを作る予定はないか、そして、昔のようにエンジンとシャシーだけ購入することはできないか、メルセデス・ベンツに問い合わせたところ明確に「ノー」という回答が届いた。

しかし、諦めきれないオランダ人実業家、当時のメルセデス・ベンツの社長であったウーレンハウトにまで直接、問い合わせの手紙を送っている。頑固者で有名だったウーレンハウトが折れるはずもなかった。「4ドアセダン専用のシャシーなので、それ以外のボディには対応できない」との回答だった。

ならばとオランダ人実業家は、1964年に230SLをベースにクーペ(230SLクーペ・スペシャル)に仕立てた、ピニンファリーナにコンタクトを取ることにした。彼がピニンファリーナに記した手紙によると、ポルシェやコルベットのようなパフォーマンスを持った2+2クーペが欲しかった様子が伺える。そして、300SEL6.3の性能を絶賛もしていた。ちょっと面白いのは、ウーレンハウトとのやりとりでの不満もピニンファリーナにあてた手紙に記されていたことだ。





当初、ピニンファリーナは2+2クーペに仕立てることに否定的であった。というのもシャシーの剛性が十分に確保できないため、メルセデス・ベンツによってシャシーを短くしてもらうべきだと主張していた。幾度かのやりとりの後、ピニンファリーナはオランダ人実業家が300SEL6.3をトリノの工場に持ち込むなら、2+2クーペに仕立てることに合意した。見積もりは、1000万リラ。VWビートルで例えると…、約83台分に相当する金額だそうな。

オランダ人実業家からのオーダーは“ロールス・ロイスのような高めの着座位置”、“広すぎる窓はNG”、“後席は可動式で固定式のアームレストで左右を仕切るのはNG”、“遮音材を追加することで静粛性向上”などであった。ワンオフの300SEL6.3が完成すると、ピニンファリーナは1970年のパリ・モーターショーにて同車を披露した。発注者は匿名というミステリアスな車両に世間はざわつき、オランダの富豪ゆえにハイネケン一族ではないか、という噂も一時は流れたそうだ。







1971年にはオランダ人実業家の運転手がイタリア・トリノにあるピニンファリーナまで車両を引き取り、オーナーの手元に届けられた。オランダ人実業家は思い通りの車が完成した、と喜び溢れる手紙をピニンファリーナに送っている。ただ、1万㎞を走行した1972年には車両売却をドイツのオート・ベッカー社に依頼。「最高のパフォーマンスを持つ、世界で最も高級車」という触れ込みで販売されたが、買い手を見つけることをできずに当該車両はオーナーの手元に戻った。そして、1973年に別なオランダ人オーナーの手に渡った。



以後、複数のオーナーの元を歩み昨年、オランダにある高級中古車販売店「イアブロ・ラグジュアリィ・スポーツカーズ」の店頭に並んだことは把握している。その時の価格は100万ユーロであった。そんな車がモントレー・ウィークで併催された、ボナムスのオークションに出品された。ボナムスの予想落札価格は40万~60万ドルであったが、落札には至らなかった。



過去に「新しいボディによって重量は増加しているが、足回りはノーマルのままで乗り心地が悪い」、「ピニンファリーナが当時のメルセデス・ベンツ車のエアコンの換気システムをよく理解しておらず、排気ガスが車内に充満する」などと評されたことが少なからず影響しているのかもしれない。個人的には後に登場するロールス・ロイス・カマルグのサイドプロポーションやリア周りに酷似していることに歴史的な価値を見出せそうだと思っていたのだが…



文:古賀貴司(自動車王国) Words: Takashi KOGA (carkingdom)

古賀貴司(自動車王国)

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