レプリカを超えたレプリカと呼ばれたポルシェを作った男

Photography: Charlie Magee



その男の名はポール・フォアマンという。ロチェスター出身のこの電気系エンジニアは、まず男の子なら誰もがそうするようにオートバイに興味を持ち(今なおそうだが)、その後空冷VWの虜になる。ただ所有するだけでなく、キャンパーやビートル、ビーチバギー、バハバギーの改造に手を染め、その後、自然の成り行きで1950年代のポルシェへと進むことになった。はじめは356のレプリカだったが、続いて550スパイダーに興味を持った。ただし、自らシャシーを改良したものの、それらは一般的なグラスファイバー製ボディのレプリカだったという。そして彼は次のプロジェクト、彼にとっての究極のポルシェであるRSK RS60/61に狙いを定め、しかもそれを金属で製作することに取り組むことになる。「RSKの形がずっと大好きだったが、最大の挑戦になることも分かっていた」と彼は語る。「RSKのほうが550よりもカッコいいと思っていた。しかもそれはキットで手に入れることができる。いくつかのメーカーが"よく似たモデル"を作っていたが、しかし私にはとても精確だとは思えないものだった」

彼の意見に反論することは難しいだろう。550スパイダーは、その車に乗って若くして事故死したジェームス・ディーンのおかげで半ば伝説化し、RSKは同じく356の基本コンポーネンツを使用するその先代モデルである550の影にすっかり隠れた形になってしまっている。
4カム1500ccエンジンをミドシップに配した550Aは、スペースフレーム・シャシー(初期の550はラダーフレーム)の上にオールアルミニウムのボディを持っていた。丸みを帯びたそのスタイルは、ベースとなった356との共通性を感じさせるものだった。550Aは1956年のタルガフローリオで総合優勝するという結果を残したが、翌年、718にその座を譲る。

「RSK」の通称は"RennSportKurz"から取られたもので、ミドシップに同じタイプ547 ボクサーユニットを搭載し、競技で大変な成功を収めた。続いて718 RS60に名称変更されたが、それは単に1960年シーズン用の車両を意味し、1.6ℓの排気量から160bhpを発生するエンジンは、セブリングとシシリーでの勝利に貢献した。14 台ほど作られたRS61との相違点は少なく、リアライトの変更程度だったが、その後に登場するW-RSおよびGTRクーペでは大胆に生まれ変わることになる。もちろん、当時その必要があったからこそRS60のスタイルに手が加えられたのである。RS60と550との大きな違いは特徴的な縦型のリアライトが消え、その部分が繊細だが大胆な曲面に作り変えられたことだ。

フォアマンを刺激したのは、奇妙なほどに膨らんだその形状だった。銀色の矢じりのようなこの車は、引き締まった安定感を備え、ポルシェ・デザインの最良の例と言うことができる。この後に登場するW-RSでは、904に近い現代的なラインに変更されてしまうからだ。

この車の魅力は、機能的なレーシングカーは美しいというフェラーリ流の考え方が各ディテールに明確に現れている点だろう。機能性を融合させようという徹底的な考察が、たとえばライト類やスリットが入ったサイドパネル、リアグリルなどに見て取れる。複数の重要な要素がひとつの工芸品としてまとめられているのだ。

編集翻訳:高平高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA Words: James Elliott

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