マイクロカーとリーンマシーン|Jack Yamaguchi’s AUTO SPEAK Vol.4

トヨタi-ROAD



第二次大戦後のAC社にとって重要な収入源となったのが"インヴァルカー"身体障害者用車であった。小排気量2ストローク単気筒駆動の1人乗り、ライトブルー樹脂ボディの超小型三輪車だ。時の英政府の福祉政策で、身体障害者に移動の手段を与えるべく無償貸与した。「自動車ではなく、義肢的役割」が名目であった。しかし、1977年に衝突安全の問題から政府は大半を回収破壊し、公道走行を禁止した。

川上完さんがACソーシャブルに魅せられたように、私はもっと小さな3輪EVの"シンクレアC5"との再会を楽しんだ。1980年代、普及型コンピューターで財を成し、女王陛下から騎士称号を受勲したサー・クライヴ・シンクレアが生産市販した。自動車というより、電動アシスト三輪自転車的なもので、膝下(!)のハンドルバーで操舵し、足元のペダルで人力走行もできた。1985年から約2500台を生産したが、商業的には不成功に終わる。博物館員によると、まだ箱入りの新車が入手できるそうだ。

1951年から66年まで生産されたボンド・"ミニカー"三輪ガソリンエンジン車は一般にも販売された。小排気量2ストローク単気筒エンジンとトランスミッションを前輪に一体化し、ステアリングホイールで操舵する。左右それぞれ90゜回るので、全長以内でUターンができる。それでも直線後退したい客のため、後期型は逆回転できるダイナスターター(始動/充電/駆動モーターの3役を担う)をオプション設定した。1948年A型から1966年G型まで約2万5000台を販売した。当初、リアサスペンションは固定軸であったが、途中から独立になった。1952年Mk.Cから63年Mk.Fまでは、クラシック・ミニなどのサスペンションと自ブランド小径輪自転車で有名なアレックス・モールトンの"フレキシター"捩りラバースプリングを採用した。最新のモールトン自転車もフレキシターを用いている。

第二次大戦後のヨーロッパ、とくに敗戦国ドイツでは大衆の移動手段として超小型車が出現した。翼を奪われた航空機、エンジンメーカーのメッサーシュミット、BMW、ハインケル、ツンダップがユニークな超小型車を生産した。BMWはイタリアISO社"イセッタ"の設計と権利を買い、狭リアトレッドの変形四輪車を生産した。後期型の"300"は、BMW独自の設計となる。筆者が1958〜59年のBMW輸入商社勤務していた時期には、日本企業研究用と国際見本市展示に数台、加えて駐留塀空軍人、家族に約40台を輸入した。

これらのドイツ産(2種が税制有利な二輪型をイギリス現地化)"バブル(風船玉)カー" は、スエズ危機によるガソリン配給期に大増殖した。

Kyoichi Jack Yamaguchi

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