自動運転考察『自動車とは自動で走る車』|Jack Yamaguchi’s AUTO SPEAK Vol.2

Images: Official, Octane UK

1888年8月5日、ベルタ・ベンツは、15歳と13歳の息子を連れ、夫カールの製作した"パテント・モートルワーゲン"3輪自動車3号車を運転し、マンハイム自邸からフォルツハイムに向かった。自動車史上最初の106kmを走る長距離旅行であった。

実家の母を訪れるのが目的であったとされるが、無意識あるいは意識的にベルタは夫カールの発明した自動車の実用性を実証した。ベルタは、途中薬局で揮発性溶剤ベンジンを燃料として補給、燃料パイプ、電線の路上修理を行っている。ブレーキ劣化の対応として鍛冶屋に寄り、補修させた。ブレーキライニングの発明者は、ベルタ・ベンツである。

カール・ベンツが最初の自動車を発明製作したのは1885年であるが、彼の本拠マンハイムから約100km離れたシュツットガルト・カンスタットでは、まったく関係、接触のなかったゴットリーブ・ダイムラーが独自の自動車を発明していた。ふたりの会社が合併し、現在のダイムラー・ベンツにいたる。

ベルタ・ベンツ大旅行の125年後の2013年8月、ダイムラー・ベンツ先進研究部門は、1台の実験車をベルタの通ったルートに限りなく近い田園地帯、市街地100kmのコースを走らせた。S500"インテリジェント・ドライブ"は、全区間完全自律で走行した。

米語Automobile、ドイツ語Automobil、略してAutoは、ギリシャ語Autosは『自身』を語源とする。『自動車』と直訳した先人は、いまアメリカ、そして日本で話題となっている「セルフドライビングカー」の実現を想像したのだろうか。

1920年代、すでにラジコンによるセミ自動運転の実験は行われていた。1939年の世界万博では、工業・劇場デザイナー、ノーマン・ベルゲディス(空力流線形自動車が有名)がGMスポンサーによる未来市構想を発表した。路面埋め込み電線から集電駆動し、ラジオコントロールするEVが走る模型だ。

1950-60年代、GMはジェット機スタイルのガスタービン車シリーズ、"ファイアーバード"・コンセプトシリーズをデザイン、製作した。1956年ファイアーバードⅡは路面埋め込みガイドシステム、58年Ⅲは先進電子ガイドシステムによって事故を防止するという。70年代もいくつかのガイドワイア式自律走行実験が行なわれた。

80年代に入り、ミュンヘン連邦防衛大学のエルンスト・ディックマンス教授と同大チームが"4D画像認識"とプログラムを開発し、実証実験を行なった。欧州政府連合研究機関EUREKAは、このプロメテウス計画に巨額予算を計上した。"PROMETHEUS"とは、『最高効率と絶対安全のヨーロッパ交通』頭文字造語である。ダイムラー・ベンツ、ジャガーなどのメーカーと多くの大学、研究機関が参加した。ディックマンス教授とダイムラー共同研究開発を加速したのはEUREKAであった。

1994年には、ディックマンス・ダイムラーのSクラスベース実験車は、ミュンヘンからコペンハーゲン往復の大半を自律走行した。

1980年代、米国防省先進研究計画局(DARPA)は、自律陸上車計画に資金提供し、産業共同体がレーザーセンサー、コンピューター視認、自動運転操作機能を持つ実験車を30km/hで走らせている。DARPAは、その後の自律走行車の開発に重要な役を果たす。

1990年代に入り、米国議会は運輸省に「1997年までに自律走行車およびハイウエイ・システムのデモンストレーション実施」の予算を計上した。97年、連邦ハイウエイ局とGMが主体となり、複数の企業が参加した計画の公開実験がカリフォルニア州サンディエゴ付近のI-15号フリーウエイで開催された。日本からは、トヨタとホンダが参加した。

私自身の最初の自律走行車の体験は、90年代のホンダの実験車であった。日本のITS、運転システムの権威、古川修よしみ芝浦工業教授が当時本田研究所の自律走行研究リーダーであった。路面埋め込み磁気釘とGPSを併用した初期段階自律走行アコードであったと記憶する。

サンディエゴ実証に参加したアコードは、進化システム搭載型で、見事に80mph(128km/h)のプラトゥーン(隊列)走行し、駐車場できれいにUターンを描いたとは、見た技術者の話だ。

ホンダは、1998年にツインリンクもてぎにおいて、近未来型地域交通システムICVSを運行した。2人乗りEV、"シティパル"は、複数車が車間通信により先導車に自動追従する「カルガモ走行」を行なった。後続車には人は乗らず、交通システム内ステーションにクルマを運ぶのが目的であった。2013年10月に本田技術研究所栃木プルービンググラウンドで開催されたホンダ・ミーティングに登場した超小型2席EV"MC-β"実験型の2タイプは、それぞれ自動駐車、車間通信追従走行能力を有する。今度は追従するMC-βに人が乗り、両手を横に出していた。MC-β技術者のひとりがICVSシティパルに従事したとのこと。継続こそ進化の糧である。

オクタン読者の興味関心は、古今東西の高性能車であろう。自律走行車は速いか?エルンスト・ディックマンスとダイムラー・ベンツの頭文字"V"を付すSクラスは、アウトバーン、オートルートを制覇したと記録に残る。私の性能体験は、2000年代初頭に遡る。2006年VWテストコース特設高速ジムカーナ・コースでは、完全自律走行車をスタートラインまで運転した。そこで、手足を引っ込み、ボタンを押した。見事なグリップ走法で、正確に速く周回を重ねた。同輩が真剣に自律走行車のタイムに挑戦したほどの速さであった。

同時期、スバルは"アイサイト"の基になる実験車を体験させてくれた。スバルの操安性テストコースは狭くて厳しいコーナーが連続するが、そこでカメラ、レーダーと高精度定置D-GPSにより、メリハリの効いた走りを体験した。加えて、アイサイト・プロトが横断する人(等身大画)を検知し、自動制動停止した。

DARPAは、2004年に中東砂漠、丘陵を想定した長距離レース、"砂漠チャレンジ"を実施した。この年は完走ゼロ。しかし、翌年は5台がフィニッシュ、スタンフォード大学とVWチームが優勝した。2007年には、バグダット市内補給路想定の"市街地チャレンジ"を開催した。カーネギー・メロン大学・GMチームが優勝し、6台が完走した。

現在進行中で、2014年12月に決勝イベントが行われるのが"DARPAロボティックス・チャレンジ"である。今回は、改造なしの車が条件のひとつだ。人型ロボットが補助機具なしに乗降し、非常緊急事態発生現場まで運転する。現場では修復作業を行う。そんな時代が到来しつつある。



1 2013年S500Intelligent Drive
2013年8月、メルセデス・ベンツ先進実験車"S500インテリジェント・ドライブ"は、マンハイムからフォルツハイムまでの田園地域一般路と市街地100kmを完全自律走行した。交差点、交通信号、ラウンダバウト、他車、自転車、歩行者など、通常の混合交通を走った。新型Sクラスの市販車最先端の検知システムをベースに、さらにほぼ全周および遠距離検知レーダーとカメラシステムを搭載する。追加したシステムは、「生産化至近」であるという。2013年フランクフルト・ショー会場に乗り付けたS500インテリジェント・ドライブは、多数のセンサー類のすべてを車体内に収め、目を引く突起物はなかった。


2 1888年カール(車内)とベルタ・ベンツ"特許原動機駆動車"
1888年8月、ベルタ・ベンツは、ふたりの息子を乗せて、自動動車史最初マンハイムからフォルツハイム世界最初のまで106km長距離旅行を実行した。ベルタは、夫カール・ベンツが発明製作したガソリンエンジン3輪車、"特許原動機駆動車"の実用性実証を目的としたという。当然、給油インフラもない時代で、ベルタは薬局で揮発性溶液を燃料として買った。夫には目的地の実家に着くまでは告げず、行政の許可も得ずに出発したという。125年後のS500インテリジェント・ドライブは、ベルタ・ベンツとほぼ同じコース100kmをたどったが、行政当局の許可をとるのは大変だったとは技術者の話。


3 1950年代GMファイアーバード
1950年代、GMはガスタービン実験コンセプトカーを製作し、"ファイアーバード"と名付けた。ハーリー・アール率いるスタイリング部は、ジェット機のようなボデイをデザインした。技術部門は、最先端技術機構を盛り込んだ。中央の1956年ファイーバードⅡは、路面に埋め込んだ電線から信号受け走行するガイドシステムを搭載した。1958年Ⅲ(右)もガイドシステムに加え、ジョイスティック・ステアリング、4輪ディスクブレーキ、ABS、空調を装備していた。ファイアーバードの自動ガイドシステムの目的は事故防止であった。


4 1990年代ディックマンス/ダイムラー・ベンツ
ヨーロッパ諸国政府共同研究機関EUREKAは、1987年から95年にかけ、PROMETHEUSProject(「最高効率と前例ないレベルの安全を追求する欧州交通計画」頭文字造語) を実施した。ヨーロッパ自動車メーカー、研究所、大学などが参加したが、中でも有名なのがミュンヘン連邦防衛大エルンスト・ディックマンス教授とダイムラー・ベンツ社共同開発の自律走行車だ。画像認識とコンピューター計算(非常に遅い演算を克服)をもって、数々のセミ自律長距離、高速走行実験を行った。パリ周回高速道路走行、ミュンヘンからデンマークまで往復した。これはメルセデスSクラス"VaMP"。(PhotobyReinholdbehringer)


5 カルガモ走行の今昔
1998年、ホンダはツインリンクもてぎにおいて、一般来客が試乗できる近未来地域交通システムICVS走行を実施した。"シティパル"2席EVは、人の運転する車と複数追従車が車間通信による『カルガモ走行』で人気を得た。2013年10月、ホンダは、超小型コミュニテイ型2席EV"MC-β"が先行車を電子的に捕捉し追従する実験を公開した。今度は、追従車には人が乗っている(両手を挙げて、運転していないことを示す)。MC-βには、自動駐車型もある。


6 2006ゴルフGTI"53+"
2006年ドイツVWテストコースで試乗したゴルフGTI53+の名称は"53+1"。映画『ハービー/機械じかけのキューピッド』の主人(車)公、ハートとスゴい運転技倆をもつビートルのゼッケンナンバーにちなんだ命名だ。前面のスキャン型レーザーセンサーと定置D-GPSでコースのパイロン、自車位置を検出し、学習したプログラムで高速ジムカーナをやってのけた。腕に自信のある同輩が燃えてチャレンジするほどの速さであった。


7 2007 市街地チャレンジGM"BOSS"
米国防先進技術研究局DARPAは、完全自律走行チャレンジレースを開催した。2004年の砂漠チャレンジは完走ゼロ、翌05年は5台がフィニッシュ、スタンフォード大学/VWチームが優勝した。2007年の市街地チャレンジは、バグダッド市街地補給コースを想定した。決勝出場11台、完走6台、カーネギー・メロン大学/GM"BOSS"が優勝した。車体外部には多数のレーダー、レーザーセンサー、カメラが搭載されている。


8 車に乗り降りする人型ロボット
現在進行中なのが、2014年12月に決勝レースが行われる"DARPAロボティックス・チャレンジ"である。今回は、自律走行車ではなく、人型ロボットだ。第1の作業は、ユーティリティ車に乗り込み、エンジンスタートし、アクセレレーター、ステアリング、ブレーキを操作し、緊急現場に向かう。目的地でエンジンストップ、降車する。乗降のための車の改造、乗降補助機具は禁止されている。


9 DARPAロボティックス・チャレンジは、非常災害事態に対応
DARPAロボティックス・チャレンジは、緊急災害事故対応人型ロボット競技で、運転して現場に到着後、不整面を歩行し、瓦礫を排除、ドアを開け入り、コンクリート壁を壊し、梯子を登り、作業通路を歩き、事故現場では漏れ近くのバルブを閉め、消火栓にホースを取付ける。これはDARPAの描く事故現場だ。研究・企業、大学、米NASAなどが参加し、日本の2チームも挑戦する。

Jack YAMAGUCHI
Kyoichi Jack Yamaguchi‒山口京一。海外ではペンネームJack Yamaguchiで執筆するモータリング・ライター。英語名は、しつこく疑問を呈し、なにかと逆らう性格を自認、反省した『天のじゃく邪鬼』が由来。天の邪鬼は、寺院の山門で仁王様に踏みつらけ、仕置きされている小鬼だ。英誌モーター、オートカー、米誌ロード&トラックなどを経て、米自動車技術会SAEAutomotiveEngineering誌/Webアジア担当エディター、内外メディア・フリーランスライター、単行本著者。

Kyoichi Jack Yamaguchi‒山口京一

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