「空を飛ぶバイク」英雄になったバイクの物語

octane UK



そんな歴史を背景に、ロイヤル・エンフィールドは現在のクラシック500ペガサスを発表した。2018年にはイギリス空軍の百年祭が行われたが、そこで1000台のペガサスが限定発売されると発表したのである。1000台のうち199台はイギリスでも購入できるとされ、その価格は4999ポンドとされた。これを仕掛けたのは、世界的な製品戦略会社のトップであるマーク・ウェルズである。

「ペガサスは、フリーのヒストリーを語る際に絶対に欠かす
ことができません。ペガサスは我々に過去の出来事について、そしてこれまであまり知られてこなかったフライング・フリーについて、たくさんの学ぶ機会を与えてくれたんです。国防省とロイヤル・エンフィールドによる共同作戦は、本当に実り多きものを残してくれたと思っています」

ロイヤル・エンフィールドがプロジェクトの遂行をパラシュート連隊に最初に持ちかけたとき、国防省はペガサスをオリジナルのフリーにできるだけ近い形状で作ることができるよう、過去の資料を開示してくれたのだ。

エンブレムと名称はパラシュート連隊の記章から頂戴したものだし、シンボルマークは250エアボーン・ライト・カンパニーが使っていたフリーに描かれていたものを流用した。



「航空機とグライダーにオートバイを積むときに重心のあり
かがわかることはとても重要です。フリーでは重心はここにあると示すために、クランクケースの上に黄色いストライプが描かれていました。今回のモデルでも同じようにクランクケースに同じ黄色いストライプを描いたんです」とウェルズは言う。「このオートバイの色に関しては当時のものと寸分違わぬ色であることにこだわりました。たとえば荷物入れのバッグなどはいい例なんですが、ブラウン系なのかオリーブ・ドラブ・グリーンなのかといったところまで、つぶさに調べ上げたんです」

国防省は正確さを期すためにペガサスの製作工程を隅か
ら隅までチェックし、搭載箇所の細部を再現するために、フリーを搭載したことのある当時の航空機を参考にする許可さえ出したのである。

私は、イギリス空軍がフリーを保有していた間にそこで使われた航空機についてジョン・ベーカーから話を聞いた。「アームストロング・ホイットワース・アルベマールからダグラス・ダコタまで、ときにはハリファックスのように形態が変わる爆撃機まで、さまざまな航空機を使いました。しかし、その中でも進んで選びたかったのはダコタでした」

その理由は、2箇所のマウンティング・ポイントをもつ架台自体がフリーを機内にすっきりと収められるように作られていて、その架台はグライダーにも積載できるような多機能ぶりと軽量性も併せ持つ、優れものだったからだ。

このことに留意しつつ、私は1944年3月〜5月に航空機生産省が行った落下試験を調べた。すでに機密指定から解かれた資料には以下のことが書かれていた。『ハリファックス、アルベマール、ダコタ、スターリングIV、ランカスターから125ccのロイヤル・エンフィールド・モーターバイクを、ひとりの人間とコンテナを入れた棒状の容器とともに安全に落下させられる技術を取得すること』

一方で、最終テストはノルマンディーでバイクが最初に使用されるちょうど1カ月前にそれらは配備されなければならないという厳しい条件も付けられていた。もっとも留意されていたのは、バイクと人間を決して同時に落としてはいけないこと、それからバイクの落下進路が人間の落下進路と交差するようなことがあってはならない、ということも記されていた。もちろん兵士の安全を確保するためだ。

クラシック500ペガサスを積むダコタと、パラシュート連隊の公式アクロバット・チームがいよいよ上空でデモを演じようとしている。私はその前に、アイシャー・モーターズのCEOでもありロイヤル・エンフィールドのCEOでもあるシッダールタ・ラル(Siddhartha Lal)にフリーとブランドについて話を聞く機会を得ていた。

「フライング・フリーの物語はとても興奮を掻き立てられま
す。こんなヒストリーを持つバイクなど、他のどこにもありませんよ。きわめてタフな状況下にあっても持ち前の耐久性を武器に、私たちのバイクはふたつの世界大戦で重要な役割を演じたのですから。これからもそうした長所を維持しながら製品作りを続けていきたいと思っています。このようなバイクを絡めたイベントを開催することで、そうした力をもっと高めていけると考えています。私は、それは可能だと前向きの姿勢でいます。軍隊で鍛えられた品質をロイヤル・エンフィールドは保ち続けなければいけません。苦難の道はいつの時代も変わりはないのです」



第二次世界大戦中の空挺師団へのフライング・フリーのたどった道とその重要性にはようやく光が向けられたことは歓迎すべきことだが、フリーに搭乗した人々のことまで思いを巡らすことはもっと重要なことである。しかし残念ながら今日まで生存している人は誰ひとりいない。もちろん彼らだけではない。戦争が世の中の隅々にまで暗い影を落としていたあの時代、男女を問わず数百万の人々が犠牲になったことには心から哀悼の意を表さずにはいられない。

今年93歳になるフレッド・グラヴァーは、Dデイの最後の生き残りのひとりである。彼は戦時中の話を丁寧に聞かせてくれた。グラヴァーは移動中のグライダーで敵の大軍を飛びこえたとき両足を撃たれたのだが、彼の連隊は任務を完了するためにしばらくの間、2人の負傷したドイツ兵と彼を同じ場所で過ごさせた。その瞬間、彼の中で慈悲と好意の心が芽生えたという。ドイツ兵のひとりは自分自身より重傷だったため、グラヴァーは自分に供されていたモルヒネを与えるべきだと考え、分け与えたのだった。捕虜になったグラヴァーは、結局彼が入れられていた病院キャンプを逃げ出したのだが、彼が口にした言葉は私の心に深く突き刺さった。

「戦いが終わり、戦争が静まれば分別は戻るんです。家に帰
ったとき私は自分に問いかけました。『なぜ、おまえはドイツ兵に自分のモルヒネを与えたのか?』と。答えは簡単でした『私はただの兵士であって、殺人者ではないからだ』」

ロイヤル・エンフィールドのクラシック500ペガサスを発
表したことは素晴らしいことだが、もうひとつ大きな役割を果たしてくれたことを忘れてはいけない。それは我々退役軍人が昔話をするいい機会を提供してくれたことである。そうすることで、自分たちは記憶を呼び覚まし、生き生きとしたものにできるのである。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA  Word:Hugh Francis Anderson

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事