ランボルギーニ・ミウラの生みの親が選んだ自分への誕生日プレゼントとは?

1967年ランボルギーニ・ミウラP400(Photography: Max Serra)



シャシーナンバー3165の1967年式ミウラP400は、68番目に製造された車で、今もきわめて薄い0.8mm厚の鋼板製フレームを備えている。この車はパルマのランボルギーニ・ディーラー「マリアーノ」を通じてピエル・ルイジ・ボルミオーリに1967年10月10日にデリバリーされたという記録が残っている。ボルミオーリは、イタリアの巨大ガラスメーカーの御曹司で、イタリア映画の"甘い生活"を地で行くプレイボーイとして名をはせた人物である。

ホワイトのボディにブラックインテリアを持つP400は、たちまちパルマだけでなく、イタリア全土で有名になった。というのも、彼の愛人であるタマラ・バローニが乗り回していたからだ。彼女は当時イタリアでもっとも美しいと言われた売り出し中のスターで、ゴシップ雑誌の表紙を常に飾っていたのである。

「あの車のことはよく覚えている」とダラーラ。「ボルミオーリが車を引き取りにサンターガタ・ボロネーゼに来た時のことも含めてね。後に週末にパルマで見かけたが、その頃はもう週刊誌が"タミウラ"というあだ名をつけていた。週末にパルマに戻ると、あの車はいつも特別な場所に停まっていた。もちろん、いつかあの車を買うなんてことはまったく想像したこともなかった。」

「あの当時、私はライトブルーのフィアット500に乗っていた。1960年代の初めに、フォルノーヴォのロンバッティ・フィアットディーラーから買った自慢の中古車で、私の唯一の交通手段だった。毎週末、マラネロからパルマまで走って往復したものだ」

ミウラを買うというアイディアをダラーラが考え始めたのはこの15年ぐらいのことだという。しかしながら、何度も何度も、この車を買う金額を用意することを自分自身に納得させようとしているうちに時間が経ってしまい、そのうちに値段はさらに高くなってしまった。

「だが80歳の誕生日が近づいた時、引き金を引いた」と彼は言う。「今この時か、二度とないかだ、と自分に言い聞かせた。そしてついに、もっとも安く手に入るミウラ、スウェーデンで売りに出されていたP400を買った。ボディカラーはグレーで、状態は決していいとは言えなかった。その時はそれがボルミオーリの、私の故郷に最初にデリバーされた車だったことにまるで気づかなかった。後になって買う時に安く済んだものは、レストアで高くつくということを学んだのだが、幸いなことにランボルギーニ・ポロストリコの友人たちが助けてくれるという。彼らは良いレストアというものは何をどのようにすればいいかを教えてくれた」

「娘と一緒に幾晩も、ペイントすべき適切なカラーリングは何かと考えたが、結局ポロストリコのスタッフが、『唯一の選択肢はオリジナルのホワイトを尊重することです』と私を説得してくれた。たったひとつだけ、自分に許したオリジナルではないパーツは、もともと塩化ビニールだったドアのトリムをレザーに替えたことだけだ」

レストア作業は14カ月を要した。ざっと3000マンアワーである。すべての部品がレストアされ、オリジナルでないものは交換された。ディテールにも万全の注意が払われ、どんなに小さな部品でも、できる限り最初のカスタマーに納車された時と同じ状態に戻された。そしてある晴れた秋の日、ダラーラがサンターガタにプロジェクトの成果を引取りに来るダラーラを私たちは待ち受けていたのである。

「今まで、ボディが載った状態を一度も見ていないんだ」と彼は語った。「これまでは写真を何枚か見ただけだ。サロン・プリヴェ・コンクールでベスト・イン・ショー・トロフィーを貰った後に出版された雑誌でね。そのトロフィーを祝う電話が信じられないぐらいかかって来たよ。デイトナで私のレーシングカーが勝った時よりもはるかに多かった。ただ、実は今でもちゃんと運転できるかちょっと心配なんだ。何しろ、最後にミウラを運転したのは30年以上前のことだからね」

編集翻訳:高平高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA Words: Massimo Delbo Photography: Max Serra

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