10年以上かけて熟成されたスーパーストイックな大衆車

PEUGEOT CITROEN JAPON

2CVは、DSとともに歴代シトロエンのなかで、2大スターといってもよい存在で、ブランドの重要なヘリテージとなっている。ところがDSブランドが新たに立ち上がったこともあって、今では2CVこそがシトロエンブランドの大きな精神的支柱になっていると感じられることもある。
 
TPVのところで述べたように、2CVの基本形は戦前の1939年の段階でできあがっており、フランスの国民車となるべく構想されたのだった。もともとはミシュラン時代の初代社長ピエール・ミシュランが開発を進めさせていたが、彼が事故で亡くなりそのあとを継いだピエール・ブーランジェによって、計画は続行された。ブーランジェは、低価格国民車の構想をさらに徹底させ、スーパーストイックな大衆車となるように、自ら開発を指揮したのだった。開発は戦時中も続き、足かけゆうに10年以上かけて2CVは熟成されたといえる。
 
フランスの国民車として、庶民の暮らしに密着した存在になるべく、市場調査も行って用意周到にコンセプトが設定された。フランスは現在でもヨーロッパきっての農業大国だが、当時は今以上に農家の戸数が多かった。したがって2CVは必然的に、農村の暮らしに合うような車としてできあがった。

とはいえ第一の目的はあまねくフランス国民の手に渡らせることだったので、作業車のような形ではなく、あくまで乗用車として開発された。もちろん生活に役に立つ車ということなので、荷物を積みやすい車体形状で、今でいうMPVのような車としてできあがっているわけだ。同時期に生まれ、アウトバーン走行を重視したフォルクスワーゲンがセダン的なパッケージングだったのとは好対照である。



 
悪路を走っても籠いっぱいの卵が割れないという、ブーランジェが定めた開発の指針は有名である。このほか、4人が乗ることができ、50kgの荷物が積める、速度は平地で60km/h程度で走れる、5リッター/100km(25km/リッター)の燃費、などの指標も知られている。ブーランジェはとにかく低燃費で経済的な車となるよう、厳しく指導した。
 
重要なことは、低価格で、しかも人も荷物もたくさん運ぶことができることで、そのためには車体はある程度の大きさが必要で、いわゆるミニマムカーとしては、2CVの車体は大きい。そのかわりに徹底的に軽くして、コストダウンを図っている。空冷フラットツインのFWDというパワートレーン構成、ボディの薄い鉄板、布製のルーフなど、それらはすべて軽量化につながっている。"卵が割れない"サスペンションも大きな特徴である。

前リーディングアーム、後トレーリングアームのサスペンション形状に、独特な前後関連式のスプリングを組みつけている。足回りの開発には、引き合いにロールス・ロイスをテストに使った話も残っており、単に悪路走破性というだけでなく、乗り心地には非常にこだわっていた。それはブーランジェの個人的こだわりもあったかもしれないが、社長である彼も含めてタイヤメーカーのミシュランが背後にいたことも関係していると思われる。DSのハイドロニューマチックと根は同じであり、2CVには、コストのかからないバネシステムを採用したわけだ。



 
2CVはスピードを否定するような車として企画されたが、走りに無頓着なわけではなかった。発売当初は、わずか375ccの2気筒エンジンを搭載したが、BMW2輪車のエンジンに触発されて、スムーズな水平対向2気筒が選択された。開発当初は水冷だったが、元タルボでレース用エンジンを設計したワルテル・ベッキアが途中に加わり、優れた空冷エンジンとして仕上げられた。戦後のデビューまでの間にさすがにライバルに対抗する必要もでてきて、フラットアウトの長時間走行に耐える活発なエンジンができあがった。
 
戦後1948年のパリサロンで発表されたとき、真っ先にブースに駆けつけた大統領が、実車を見て困惑したというのは有名な逸話である。一般の人々の感想からもとまどいがうかがえたが、ただフランス庶民は、実利を買ってこの車を評価し、すぐにバックオーダーを抱えるほどの人気車種となった。外観の点でも実は2CVはけっして無頓着なスタイリングではなく、名手フラミニオ・ベルトーニの手で、シンプルながら優美さのある造形に整えられている。
 
2CVは、1990年までの間に、乗用車だけで約387万台もつくられた。長い生産期間の途中、代替わりも当然考えられていたが、1960年代の学生運動の時代には、自由を求める若者の間でブームのようになり、シトロエン広報部はそこに目をつけて戦前のハーフトラックの巡洋艦隊を彷彿とさせるような冒険ラリーを企画したりした。1970年代には石油危機のおかげで低燃費の車として見直された。2CVはフランス中の路上にあふれて、エッフェル塔、フランスパンと並ぶように、フランスの風物詩として認識される存在になったのだった。

文:武田 隆 Words:Takashi TAKEDA

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