20周年を迎えたAudi TTを100周年のバウハウスとともに回顧する|伝統と革新が積み重なる瞬間へ

Audi Japan

 

共感と共生を生み出すシンビオーズを創ること

外壁に応力のかからないカーテンウォール工法を用いたコンクリート建築は、現代では世界中でありふれたものとなっているが、バウハウス・デッサウ校のあらゆるディティールには、設計者としてのワルター・グロピウスの意志や意図が反映されている。


ワルター・グロピウス設計によるバウハウス・デッサウ校の校舎は、バウハウス建築を代表する存在。

採光面を広くとるために拡げられた窓ガラスは、その一枚一枚がA4フォーマットのサイズで、これを繰り返し使うことで量産効果を上げている。


デッサウ校の研究員であるトルステン・ブルーメ氏。デッサウ校のガラスはすべてA4サイズで縦寸が統一されているのだとか。

「バウハウスにおけるインダストリアライズのための規格モジュール化は、畳や障子といった日本の建築の影響が少なくないと考えられています。それまでの欧州の建築は、ひとつひとつがワンオフで当たり前でした」と、デッサウ校の研究員で、とりわけバウハウスの演劇を専門とするトルステン・ブルーメは解説する。 

「グロピウスは、寄宿生を含む学生らや教授らが学校内で社会生活を送る中で、重要な空間として捉えていたのが、食堂と劇場です」


劇場のステージ背景の壁を開くと何と食堂に通じる。食事の時間こそが重要で生活の中で注意を払うべきもの、という考えだったとか。

講堂を兼ねた劇場の舞台の四隅には、天井を支えない4本の柱が据えられ、舞台奥の大きな引き戸の向こうは何と、バウハウスに関わる人々が通ったであろう食堂が配置されている。

「舞台上の4本の柱は明らかにアジアの演劇の影響で、そこにあって別の世界を意識させるという空間です。例えば能面は固定されたものですが、演じ方や見る角度によって表情や性格、演じる役割が変わることにグロピウスは高い関心を示しました。そして舞台の向こうに食堂があるのは、食事こそが生活の中でもっとも重要なシーンであり時間である、という考え方です」


食堂はグロピウスが最重要視した空間のひとつとか。天井と梁の塗装は、艶>艶消しのグラデーションになっているほど凝っている。


客席側から舞台そして食堂へと方向感を醸し出す照明や、階段の踊り場で巨大なガラス窓へと視線を集めるものの、天井を支えていない梁など、デッサウ校にはじつは「機能的ではない」ディティールが多々ある。必ずしも「カタチは機能に従う」だけではないのだ。


ワルター・グロピウスの執務室つまり校長室。家具は昔の写真から復元されたもの。

前出のクラウディア・ペレン博士は、「カタチは機能に従う」というバウハウスの金科玉条のようにいわれる言葉は、じつはシカゴ派のルイス・サリヴァンが唱えたもので、モジュール化と量産を目指したバウハウスはその合理性に関心を寄せたものの、決定的な要因ではなかったとという。


100周年を機にオープンしたバウハウス・ミュージアム・デッサウ。デッサウにはもっとも多くのアーカイブ資料が遺されている。


パイプチェアなどの今日では常識的なアイテムも、「空気に座る」といった機能性や審美性を突き詰めたバウハウスが先駆だった。


このように、デッサウ校や教授陣の邸宅、新設されたミュージアムといったバウハウスの跡を巡って印象に残るものは、外見的なディティール以上に、光にあふれ、シンプルなグラフィックで描かれ、しばしばカラフルで開放的な空間が、機能に応じて様々な役割を担っていることだった。

もっといえば、そこで学ぶ・暮らす人々の過ごすべき時間というか、理想とする生活の在り方という、バウハウスが建築を通じて実現しようとした「イデー(思想性)」の方に焦点が合ってくるのだ。


エルベ川沿いのレストラン、コルンハウス(Kornhaus)はカール・フィーガー設計による1929年のバウハウス建築。


こちらはワルター・グロピウスが校長として住んだ家。訪問も可能だが、現在は展示スペースに用いられている。


招聘教授の一人だった抽象画家、ワシリー・カンディンスキーの邸宅内のアトリエ。


オクタン日本版編集部

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