フォルクスワーゲン タイプ2|レトロデザインで人気の「ワーゲンバス」の歴史を振り返る

フォルクスワーゲン タイプ2

日本では"ワーゲンバス"などの名で親しまれてきたフォルクスワーゲンのタイプ2(ちなみにタイプ1はビートルだ)正式名称はトランスポーター。商用車やキャンピングカーなど、様々な用途に使われてきたタイプ2の60年以上にわたる長い歴史を振り返る。

ヒントは簡易運搬車
今から13年前の2001年に、フォルクスワーゲンは自社の歴史の再現を試みている。冬のデトロイト・オートショーで、タイプ2の後継モデルとしてマイクロバス・コンセプトを発表したのだ。プラズマテレビを搭載し、フロアに半透明のゴム素材を敷くなど未来的なインテリアに対し、どこか懐かしい雰囲気のエクステリアを組み合わせるなど、新旧の要素を絶妙に取り込んでいた。メカニカルのベースはタイプ2の第5世代、フロントエンジンのT5だったが、空冷特有のカラカラというサウンドをともなうリアエンジン仕様のタイプ2を思い起させるようなコンセプトカーだった。

実はこのコンセプトカーがデザインされたのは、これよりさらに10年ほど前のことだった。カリフォルニアにあるVWのデザインスタジオで、チャールズ・エルウッドがビートル・コンセプト(コンセプト1)と共に手がけていたのだ。売上と利益が落ち込み、北米で人員削減も行われる中、VWは世界の目をその苦境からそらして自社の歴史へと向けさせたのである。このことが象徴するように、タイプ2がたどってきた道のりは単純なものではなかった。

VWの創造者フェルディナント・ポルシェは、第二次世界大戦前から国民車のバンを造ることを検討していたが、実際に現実のものとなったのは戦後のことだった。その立役者となったのが、イギリス陸軍電気機械技術兵団のアイヴァン・ハースト少佐である。1945年8月にニーダーザクセン州のKraft durch Freude(K.d.F:歓喜力行団、現ヴォルフスブルク)市にやってきたハーストには、ビートルの生産再開という使命が課せられていた。実際のところ彼の行動力は目覚ましく、空襲で壊滅状態にあった工場の生産ラインを再建したハーストの努力は今でも語り草になっているほどだ。

1946年にイギリス軍が撤退し、同時にフォークリフトさえ持ち帰ってしまった。そこでハーストは工場内で使う目的で、荷台の付いたプラトンワーゲン(つぶれた車の意)という簡易運搬車を考案する。ビートルのラダーフレームと車軸を用いたもので、それは1994年まで使われ続けたあのフラットフォーの上に、屋根のない運転席を設けたようなものだった。

ある時、オランダの輸入業者ベン・ポンがこのプラトンワーゲンを目にした。彼はオランダにある足こぎの運搬車とよく似ていると思い、自分にも1台造ってもらえないかと頼んだ。豊かな想像力でアイデアをさらに膨らませたポンは、1947年4月、ルーズリーフに、あるスケッチを描く。パンのような形、キャブフォワードの運転席、リアエンジンで積載量750kg。それは、まさにその後タイプ2となる車そのものだった。だが、このバンを作る仕事に取りかかるために必要な資材を集めるのには、さらに1年を要した。

ついに1948年、ハーストはこの車の開発をアルフレッド・ヘズナーに任せた。ヘズナーとは、軽量の空冷エンジンで知られるフェノメンという会社で働いていた人物である。ちなみに、同じ頃にダイムラー・ベンツの伝説的エンジニア、ルドルフ・ウーレンハウトがハーストからの採用オファーを受けている。だが結局ウーレンハウトは「私はメルセデスマンです。会社はきっと復活します」と言って仕事を辞退した。

もっと写真を見る

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation: Shiro HORIE  原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Andrew English Photography: Jamie Lipman

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事