ポルシェがたった一台製作した901のカブリオレ・プロトタイプ

Photography:Paul Harmer



ここで見逃せないのは、その当時、消費者運動家のラルフ・ネイダーがその全盛期にあったということだ(有名な"Unsafe At AnySpeed"は1964年に出版された)。ほとんどのユーザーがタイヤの適正な空気圧には無関心で、それがトリッキーなハンドリングに影響していたのだが、それを無視して911と同様のリアエンジンでスウィングアクスルを持つシボレー・コルヴェアがやり玉に挙げられていた。もっとも、ネーダーは実際にはコンバーチブルの安全性については言及しておらず、同じころ、メルセデス・ベンツはアメリカ市場を狙ったパゴダ・ソフトトップの 230SLを発売する際には、何の心配もしていなかった。

結局、屋根を切り取った901の開発を進めるのではなく、タルガ・トップが選ばれた。ロールケージで強化されたタルガ・ボディは、快適性も実用性も、さらにはルックスにも優れていたのである。実際タルガは911のセールスの4割を占めるほどの人気を博したという。ツッフェンハウゼンのマーケティング担当者の読みは正しかったのである。

これからもずっとオープン
いっぽう、シャシーナンバー13360の901カブリオレは、1967年ごろ、有名なレーシングドライバーであり、エンスージアストでもあったマンフレート・フライジンガーに売却され、そのまま彼の車庫に収められた。2001年にオハイオ州のエンスージアスト、マイロン・ヴァーニスによって発見されるまで、ずっとそこで眠っていたという。ヴァーニスは当時10万ドルの価値はあったとされる356BカレラGS(ただしプッシュロッド・エンジン搭載)と交換で手に入れたが、その話を聞いて彼の頭がおかしくなったと思った人は少なくなかったはずだ。

幸運なことにヴァーニスはこのポルシェの重要性を正しく理解しており、エンジンを完全な状態に修理するだけにして、その他はオリジナルのまま維持することにした。彼の判断が正しかったことは、ポルシェ911の50周年を記念する 2013年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスに招待されたことでも明らかである。

901カブリオレは、2014年に有名な整形外科医のアレックス・カリディスの手に渡り、ロンドン中心部のガレージに運び込まれた。彼もまたレストアしたい欲求を抑え込み、ほぼオリジナルのまま大切にしてきた。我々はそれを他にも素晴らしい車で溢れた地下ガレージからロンドンの陽光の下に引っ張り出したのである。

まったく正直に言えば、901カブリオレはちょっと奇妙に見えた。格納式のカブリオレトップ(既に紛失している)どころか、いかなる種類の屋根も備わらない姿は、やはり無理に屋根を切り取った感じがする。ポルシェは 1981年になってようやく911にカブリオレモデルを追加した。それは高張力鋼鈑を使った新しいモノコックと、増えた重量を埋め合わせる180bhpエンジンが手に入ったおかげである。

編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Robert Coucher 

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