「ポルシェ ワークス924カレラGTP」の1980年ル・マンでの絶体絶命の窮地と完璧なレストア

ポルシェ カレラ924GTP(Photography:Jamie Lipman, Porsche archive)



コイントスで勝ったアンディがスターティングドライバーを務めることになった。私はちょっと残念だったが、激しい雨の中でスタートしたレースを見てほっとしたのも事実だった。スタート直後の大集団が巻き上げる水しぶきは恐ろしいほどで、後でアンディから聞いたところでは、ミュルザンヌ・ストレートを外れないようにするには、並木のてっぺんを見上げながら走らなければならなかったという。車はびっくりするほど速かった。たった320psと言われていたにもかかわらず、車重は930kgと軽く、917譲りの素晴らしいブレーキと滑らかな空力的ボディを備えていたおかげか、最高速は180mph(288km/h)に達した。さらに、それまでのレース経験の中でも最高のハンドリングと言えた。我々の車は525psを発揮する934よりも速く(しかもストレートでも)、さらに驚いたことに2リッターのレーシングスポーツよりずっと速かった。無論、935は別格で、夜間にはターボチャージャーを魔法のように光らせながら、200mph以上で我々を追い抜いていったものだ。

924の持病として知られた排気バルブが焼けてパワーダウンするというトラブルが我々と米国チームの車に発生したのは日曜の朝6時15分だった。慌ててドイツチーム車には対策が施された。実は同じような問題がポールリカールでのテストで発生しており、それについて改良を加えたエンジンはシュトゥットガルトのダイナモの上ではまったく問題なく完璧だったという。だが、現実の世界はファクトリーのダイナモの上とは違う。私が思うに、燃料がオイルを薄めてオイルレベルが上昇するのを防ぐために、レースではミクスチャーをリーン(薄く)に設定していたはずである。おそらくテストベンチでのシミュレーションは別の潤滑方法が取られていたのだろう。

日曜の午前中いっぱい、私はエンジンをなだめながら、そしてフィニッシュまで持つことを祈りながら走り続けた。車は依然としてストレートで180mphに届いたが、ただ加速が悪くなり、一周ごとに15〜20秒は遅かった。局所的なにわか雨が度々やって来て、私はあるところでウェットタイヤに交換してみた。そのギャンブルのおかげで、総合2位に入賞したジャッキー・イクスの908/80と9ラップにわたって接近戦ができたのは忘れられない思い出だ。ドライではあっという間に視界から消える本当に速い車が、ウェットセクションではスリックタイヤのために歩くようなペースとなり、それに追いつき追い抜くのは実に楽しい経験だった。当時は連続4時間を超えて走行することは許されなかった。予定になかったタイヤ交換のために日曜の朝の私のスティントは3時間58分続き、交代したアンディが最後まで担当することになった。彼がフィニッシュラインを越えた時には心からホッとしたものだ。

エンジントラブルに見舞われたにもかかわらず、結果は実に驚くべきものだった。ドイツチームは317周で総合6位、我々の英国車は12位(311周)、アメリカ代表チームは13位(306周)で全車完走した。後に計算をしてみたところ、あのトラブルさえなければ総合で4、5、6位に、しかも英国チームが4位に入っていたはずである。というのも我々は計50分しかピットにいなかったからだ。もちろんル・マンが、"もし"とか、"あれがなければ"という話に溢れているのは言うまでもない。

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Tony Dron Photography:Jamie Lipman, Porsche archive

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