無敵を誇った「ランチア・ストラトス」という伝説|1977年モンテカルロ・ラリーのクルー全員の再会

1977年ランチア・ストラトスHF(Photography:Matthew Howell)



ストラトスがすべてを変えた
私たちにとっては、いつもと同じような仕事の日ではまるでなかった。時にずうずうしく、どんな所にも入り込むモータリング・ジャーナリストにとっても、モンテカルロを制したランチア・ストラトスそのものと、優勝クルーとともに過ごすのは特別なことである。しかも、これからその車に乗り込もうというのだ。

その前にもう一度ストラトスの周囲を巡って、美しいラインをじっくり眺めた。現在のオーナーであるグイド・アヴァンデーロが1970年代初頭、ストラトスを初めて見た時はどう思ったのだろうか?

「憎い敵だったよ」と彼は言った。何だって?「大嫌いだったよ」とアヴァンデーロはいたずらっぽく繰り返した。「なぜならストラトスの登場は、私のドライバーとしてのキャリアの終わりを意味していたからだ。それ以前ならば、フルヴィアを買って、サンドロを相手にラリーで競うこともできた。もちろん、実際にはサンドロを負かすことはできなかったが、少なくとも同じような車で戦うことはできた。だがストラトスはラリーの世界を根底からひっくり返してしまった。ラリーのすべてを永遠に変えてしまったんだ」

モンテ・ウィナーのストラトスをアヴァンデーロが手に入れたのは1990年代はじめのことだった。それ以前の所有者は伝説的なエンジニアのクラウディオ・マリオーリ、彼は1984年にファクトリーチームから購入したという。ちょっと昔の話に戻ると、「TO N41648」が最後に世界選手権ラリーに出場したのは1979年のロンバードRACラリーである。黒と白のランチア・イングランド・カラーに塗られたストラトスは、マルク・アレン/イルッカ・キヴィマキ組が乗って5位に入賞している。その前年には、黒/赤/白のピレリ・カラーをまとってモンテカルロ・ラリーに再挑戦している。ルール変更によってその年は12バルブエンジンを搭載していたにもかかわらず、フルヴィオ・バケッリとアルナルド・ベルナッキーニが10位に滑り込んでいる。現在は1977年当時のオリジナルのアリタリア・カラーに戻され、エンジンも24バルブヘッドを搭載している。

ラリー界の有名人たちは多分スマートに乗り込んだのだろうが、慣れていない人間にとってストラトスの狭いコクピットに潜り込むのは簡単ではない。ロールケージがないにもかかわらず(実際にはモノコックと一体化されボディワークに隠れている)、ぎこちなく手足を折り曲げなければならない。コドライバーズシートに収まってみて初めて、ドライバーとの間隔がいかに狭いかが実感できる。サンドロが教えてくれたことを思い出す。「ストラトスは非常に身体にはきつい車だった。冬のラリーでも車内は大変な暑さで、55℃とか60℃ぐらいにはなっていたと思う」当時のラリーの長い距離を考えると、大の男ふたりにとっては大変窮屈で汗臭い仕事場だったはずである。

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