無敵を誇った「ランチア・ストラトス」という伝説|1977年モンテカルロ・ラリーのクルー全員の再会

1977年ランチア・ストラトスHF(Photography:Matthew Howell)



ラリーのために生まれた車
1972年の勝利はムナーリにとっても望外のものだったが、1975、76年と連勝した彼は、もし77年も勝ってハットトリックが実現できたら、それは不滅の記録として残るであろうことを理解していた。かつて"ドラゴン"と呼ばれた現在76歳のイタリア人はさすがにやや老いたようで、息遣いもちょっと苦しそうだったものの、今も身体は引き締まり当時のレーシングスーツもそのまま着ることができるという。さらに40年前の記憶はチュリニ峠の氷のようにくっきりとしていた。

「ストラトスは滑りやすい路面で最高の性能を発揮した。1977年のモンテは雪が降りやまなかったためにまさしく打ってつけだった」とムナーリは語る。「車の仕様はその前年に乗って優勝したものとほとんど変わらなかったが、より良いトラクションとコントロール性を狙って、エンジンの最高出力を落とし、その代わりに低回転でのトルクを増すように改良してあった。さらにギア比も低くした。というのも我々の24バルブエンジンは4500rpm以下では本当のパワーを発揮できなかったし、モンテのコースには長いストレートもそれほどなかったからだ」

ラリーのために開発されたストラトスは、他のもっと洗練されていない車に対して重要な長所を持っていた。必要とあらば迅速に調整できるように考えられていたのだ。前後のボディカウルは取り外し式で、サスペションの調整も、エンジン下に位置する5段ギアボックスのレシオ交換も容易だったのである。サスペンションのラバーブッシュはすべてピロボールに交換されており、ムナーリの「TO N41648」ストラトスは、ベースとなった12バルブ190bhpのロードカーとはまったくの別物となった。競技用の24バルブエンジンは290bhpを発生、ハンドリングはナイフのように鋭く、ごく限られたドライバーだけに許された特別の車だった。ムナーリにとってはまさに完璧だったのである。

「今でも鮮やかに思い出すことができる。スロットルペダルだけで、雪の上でダンスを踊るように滑らかにコントロールすることができた。両手をステアリングに、右足はスロットルペダルに、そして左足はブレーキの上に置くだけ。曲がるためにサイドブレーキを使ったことは一度もない」

ハンドブレーキを使う代わりに、ムナーリはミドエンジンカーの小さな慣性を利用して、果てしなく続く雪のヘアピンを難なくこなせるようにストラトスを仕立てた。

「コーナーが目に入ったら、自分の周りで車が回るようにステアリングを切る。それがつかめていれば速く、安全だ。そうでなければ車次第ということだ」そして多分雪の壁に突っ込むことになる…。

雪の王国を滑りぬけていくムナーリとストラトスの妙技を誰よりも良い席から、少なくとも彼がロードブックを見ていないときは間近で眺めていたのが、現在67歳になるシルヴィオ・マイガである。ムナーリのすぐ隣に座って、勝利への道を案内したコドライバーだ。

「サンドロがダンスと言ったのは、まったくその通り。私もそう感じていた」とマイガはあの当時を振り返った。「ラリー中のどこかでロードブックから目を上げたら、魔法にかかっているようだった。周りは雪で真っ白で、V6エンジンは最高に機嫌良く、サンドロは5速フラットアウトでダンスを踊っていた。彼はそれをまったく苦も無くやっていた。いつも静かに、正確で、状況を読み、何よりも常に驚くほど速かった」

第3ステージ以降、雪に覆われた山岳ステージでムナーリとマイガはフィニッシュまで一度もトップを譲らなかった。4台のワークス・フィアット131アバルトをはじめ、ワルター・ロールやジャン-ピエール・ニコラが乗ったオペル・カデットGTEなど228台のライバルは彼らの轍を辿るしかなかったのである。

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事