ピニン・ファリーナがただ1台だけ手掛けた「希少種」|ジャガーXK120

1954ジャガーXK120SE ピニン・ファリーナ(Photography: Matthew Howell)



ホフマンはカスタマイズするに当たって、標準型の3.4リッターXK120 SE OTSを選び、通常と同じようにジャガーに発注している。SE(スペシャルエクイップメント)とは、コンペティションモデルのCタイプ用シリンダーヘッドを備えたパワフルな180bhpエンジン、硬めにセッティングされたサスペンション、ワイヤーホイール、ツインエグゾーストを持ち、北米市場で「Mロードスター」として知られるモデルである。1954年4月5日に完成すると、5月25日にトリノのピニン・ファリーナに向けて出荷された。このイタリア屈指の老舗コーチビルダーはボンネットとトランクリッドにはアルミを用いたものの、ボディワークの他の部分ではオリジナルと同様にスチールを用いた。ランニングギアは基本的にはストックのままで、これは走行安定性と信頼性のためには最良の選択だったといえる。完成車は1955年のジュネーヴ・ショーで初公開され、次いで4月の『Autocar』誌主催のショーに出展された。また1956年のトリノ・ショーにも出展予定であったが、アメリカのオーナーが待ちきれず、トリノとは正反対の方向に旅立った。

復元作業
PFXKはその後も長くアメリカにあり、1978年にドイツ人コレクターがレストアのため購入した。この間、外装色はワンレッドに、内装はタンレザーに変更されている。2015年、英国中部シュロップシャー・ブリッジノースのCMC(クラシックモーターカーズ)社が、状態の悪化していた同車を秘密裏に買取り、オリジナルの状態に戻すことを目指してナット・アンド・ボルト、すなわち根本からのレストレーションを施した。合計6750工数におよぶ時間が費やされたが、これを時間給換算するのは無意味だろう。

同車の特製パーツの多くが紛失していたほか、ボディ自体も腐りが激しく、フロントエンドをはじめとしてリアクォーターパネル、インナーアーチ、トランク床、シルも完全なレビルドが必要だった。紛失していたライト、バンパー、各所のクロームフィッティングなどは手作りされた。当初より紛失していたリアウィンドウは開口部を3Dスキャンしてデータ化し、新規に製作された。やはり紛失していたドア内張りも、同時代のピニン・ファリーナの作品を参考にして新たに製作した。修復に当たってはいくつかの幸運によって正確性が向上した。当時、コノリーレザー社が高級車向けに供給していたコノリー・バーモルレザーのオカー(黄土色)の切れ端が車内で発見されたことで素材が判明し、またウィンドスクリーンを外した際には、オリジナル・ボディペイントの欠片も見つかった。

ペブルビーチ・コンクール・デレガンスを目標にして組立てが始まり、戦後のクローズドボディクラスで準優勝を勝ち取ることができた。

ライド・アンド・ドライブ
PFXKが英国に戻ったこと伴い、私は取材と試乗のためにCMCへ招かれ、元ジャガー・ランドローバー・クラシックとアストンマーティン・ワークスサービスのナイジェル・ウッドワード新社長が出迎えてくれた。ナイジェルはジャケットとタイを外してアノラックに着替えると、肩をすくめてジャガーに乗り込んだ。「実のところ、まだこれを運転したことはないのです」という彼は、180cmを超える長身を折り畳むようにして着座した。むしろジャガーの小柄なテストドライバー、ノーマン・デュイス向けのような、狭いコクピットなのである。

だが、車を道へ出ると、まるで自宅にでもいるように寛いで自信たっぷりに車を走らせた。滑らかに、確実に、彼はダブルクラッチを踏んでモスギア製のギアボックスをいとも簡単に操り、180bhpに増大された3.4リッターを楽しんだ。

編集翻訳:小石原耕作 Transcreation: Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words: Robert Coucher Photography: Matthew Howell

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