81年で走行距離1万5000マイル│最もオリジナルのベントレー

Photography:Tim Andrew



81年間にたった1万5000マイルしか使われず、これほどよい状態を維持しているのは奇跡に等しい。オーナーは3人だけである。スコットランドのガラシールズに住む紳士、ロバート・S・ヘイワードから注文が入ったのが1936年9月7日だ。ベントレーとヴァンデン・プラにとっては願ってもない注文だった。既に在庫用として5月6日にシャシー(ナンバーB135FC)が納められていたからだ。ヴァンデン・プラが手掛けた4台のドロップヘッドクーペ(すべて少しずつ異なる)のうち、最後の車だ。シャシーに1100ポンド、ボディに385ポンドが支払われ、ボディは「赤のツートーン」、内装は赤のレザーが指定された。納車は翌年の3月9日である。どうやらベントレーに高級なボディをしつらえるのには、焦りは禁物だったようだ。

その後の戦争と燃料の配給制度もあって使用頻度は低く、ヘイワード氏がエディンバラ・モーターエンジニアリングに売却を委託した1954年にも、走行距離は1万1000マイルだった。そこで車を目にしたのがW・ランドルフ・エンジェルである。アメリカのマサチューセッツ州で生まれ、スコットランドに移住していたエンジェルは、このベントレーにどうしようもないほど心を奪われた。購入する金銭的余裕はなく、保管場所もなければ運転免許すらなかったが、気持ちを抑えることはできなかった。南アフリカのコレクターが関心を示していたことも拍車をかけた。こうして1954年5月7日、エンジェルは1350ポンドでベントレーのオーナーとなったのである。

この登録番号DLO 936に付属する書類の中には、運転教習7回分の領収書もある。1954年6月8日付けで、金額は5ポンド8シリング6ペンス。ベントレーを楽しむために運転を習ったエンジェルだったが、結局はそれほど使用せず、購入したディーラーに預けたままで、そこが1973年に閉店すると自宅に引き取った。使用頻度の低さは車検証からもうかがえる。1970年5月から1980年4月までに増えた走行距離は、たった165マイルだ。息子のR・W・エンジェルにいたっては一度しか運転したことがないらしい。1969年にベントレーの50周年イベントでオルトンパークに出掛けたのである。「ベントレー・シェル500ゴールデンジュビリー」というステッカーがウィンドスクリーンに残っている。

父親の死後、R・W・エンジェルは2013年にベントレーをオークションに出品した。オリジナルコンディションを傷めることを恐れたのだろう、その頃には30年以上も使用していなかったが、幸い車は光の届かない乾燥した場所で保管されていた。現オーナーのアンソニー・ホッジソンは、DLO 936を目にするや、前オーナー同様すっかり魅了された。

そして、そのオリジナルコンディションがいかに貴重であり、
いかに簡単に消えてしまいかねないかを見抜いたのである。購入手続きを済ませると、さっそく保存と機能性を理想的なバランスで両立させる作業に取りかかった。

そのためには現実的な判断を迫られることもあった。アンソニーはこう打ち明ける。「配線は新しくしたよ。当時と同じ綿被覆に見えるケーブルでね。こんな話を聞いたことがあるんだ。その人はヴィンテージカーを始動してからお茶を飲むのを習慣にしていた。ある日、お茶を飲んで外に出てみたら、車が火に包まれていたというんだよ」

ホイールはスポークを修復してタイヤを交換したが、ハブとリムはオリジナルのままだ。クロームめっきも、ホイールのスピナーとバンパー、警笛など、最低限必要な箇所だけやり直した。他のクロームはすべてオリジナルである。ただし、右の尾灯は新たに付け加えた。「元は1個だった。1937年はそれで足りたんだ。でも今の時代は2個必要だと思う。500ポンドだった」



塗装はどうしたのだろうか。「白っぽくなっていた。赤はそうなりやすい。そこでクリーナーを使ったんだ。2度クリーニングしてから磨き上げた。丸1日かかったよ」その甲斐あって、ボディは鏡のような輝きというより、柔らかな光沢を帯びている。昨今はレストアラーも戦前の車を手掛ける際にはそんな状態を目指す。ヴァンデン・プラによるオリジナルの塗装(例の右リアフェンダーを除いて)が、流れた歳月を適度に感じさせる状態で残っているのだ。アンソニーが2箇所ほど補修し、フロントエプロンだけは再塗装をした。その濃げ茶色はオリジナルの色合いに驚くほど近いが、実はポルシェの色だ。

ずっしりとした大きなドアは完璧な精度で開閉する。その隙間は信じられないほど狭く、一定だ。ドアの向こう側もエンジェル・シニアが最初に心を奪われたときとほとんど変わっていない。ウッドパネルはニスも無傷で艶やかだし、シートの赤いレザーには革らしい感触がある。この質感を甦らせたのは、修復全体の中でも特筆に値する。「デコソルだよ。あれはたいしたものだ」とアンソニーは興奮気味に語る。デコソルはとろみのある蛍光オレンジの液体で、1970年代の優秀なシートクリーナーだ。「ただし、もう手に入らない。手元にあるのはあと1本半だけだ」

デコソルでクリーニングし、クリームで栄養を補うと、レザーはしなやかさを取り戻した。ひび割れはおろか、へたりもほとんどない。ドアトリムも同様だ。「ドアポケットは広げようとしたらきしんだんだ。だから非常に気を遣ったよ」とアンソニーは話す。カーペットも染みひとつない。

メーターのガラスの内側にはごく小さなカビの染みも見えるが、アンソニーは手付かずの状態を壊したくないという。ただし、ソフトトップだけは新品だ。オリジナルの布地は修復不可能だった。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:John Simister 

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