速度記録を樹立した1台のイギリス車とは?│その乗り味を堪能する

1953年トライアンフTR2(Photography:Paul Harmer)



ドアは左右とも金属製のトノーカバーで固定されていて開かないので、コクピットの側面をまたいでカバーの狭い開口部から両足を差し入れ、不安定ながら一旦ドライバーズシートに立ち、両手でトノーカバーを支えにして、両足を大径のブルーメル製ワイヤースポーク・ステアリングホイールの下にねじ込む。体はマジシャンのアシスタントよろしく、コクピットに消え頭だけが突き出た状態で残る。

MVC575は、これまでずっと白色だったと信じられてきたが、それは残っている画像がほとんどモノクロフィルムであったためで、ヒューエットはこれが元々はアイスブルーと呼ばれる淡いグリーンに塗装されていたことを確認している。リチャードソンの表現どおり「床」に座ったかのようだ。シートはクッションを詰め込み過ぎた、サイドサポートがないパーラーチェアのような感覚だ。2、3、4速に効くレイコック・ド・ノーマンビル製オーバードライブ(O/D)のプッシュ/プル式スイッチは、ダッシュボードの左端にある。ジャベックではあの日、金属製トノーカバーにエアロスクリーンを備える"スピードトリム"の他に、通常のウインドシールドにソフトトップ、ドアのサイドカーテンをつけた"ツーリングトリム"での計測も行われ、ツーリングトリムではO/D使用時とそうでない場合の2種の記録が残っている。O/D使用時の最高速184.898km/hに対して未使用時の最高速は175.353km/hであった。

チョークを少し引き、スターターボタンを押すと、古いスタンダード・ヴァンガード製エンジンはボコボコと目を覚ます。エンジンは、鋳鉄ブロックのウェットライナー構造、プッシュロッド直列4気筒で、その息づかいは健全だ。ヒューエットはバランスを確認すること以外はエンジンに手を入れなかった。余談ながら、このエンジンは、スタンダード・ヴァンガード傍系のファーガソン・トラクターにも搭載されていた。

カチリと決まる精密なギアシフトレバーでゆっくりとファーストギアを選び、軽くクラッチをミートさせる。小径のSUキャブレターとノーマルのソフトなカムプロフィールは、1500rpm付近からスムーズに回転を引き上げるが、それは極めて活発な印象を与え、4000rpm以上にあげる必要はなく、MCV575は中速域が楽しい。エンジン回転は男性的だ。エクセルシャー・タイヤを履いて浮かぶように滑らかに走り、ウォーム&ペグ式ステアリングのダイレクトさと軽さを感じる。どこか懐かしい唸るようなエグゾーストノート。フルスロットルは右足次第。MVC575は快適ではないが、よくメンテナンスされたオリジナルTRのようなフィールがある。

唯一の不可能は、えぐれたドア越しに左肘を伸ばせないことで、これが、"ちょっと違うタイプの"TRなのだと主張している。つまり、もし速く走りたいのでなければすべてが素晴らしいが、そうでない場合はかなり困難を感じるだろう。LHDのポジションのため、フルスロットルを与えるにはドライバーはかなり足をひねる必要がある。

ダンピングも悪くない。スプリングは充分に固く、ボディがロールし過ぎるのを抑える。しかし、扁平率が大きいタイヤは、ターンの際に変形してステアリングフィールを遮る。前輪の外側はハードなコーナリングで生じるあらゆる形状変化に抗議の悲鳴をあげるので、ドラムブレーキを同時に作動させるためには早めのバランスとハードなブレーキングが要求される。試乗に際して特に専門的な準備はされなかった。そしてテストの間中トノーカバーのエッジが貪るように首の後ろを撫で続ける。

トライアンフに精通した歴史家であり、15冊を超える著書を持つビル・ピゴットは「リチャードソンは真の勇者だ。彼はF1コンストラクターBRMのテストドライバーであり、リンカーンシャーのボーン工場とフォーキンガムのテストコース間の一般道と、サーキットであの複雑で難しいBRM V16を運転していたことを忘れてはいけない」と語っている。

しかし、このプロジェクトにおけるリチャードソンの役割は、単なる記録破り請負ドライバーではなかった。彼はこのTR物語にもっとずっと前から巻き込まれていたのだ。結果としてTR2からTR7までのTRレンジ、それにGT6、スタッグを生み出したトライアンフ・スポーツカーシリーズの誕生には様々な経緯がある。だがMCV575こそが重要なのだ。

10台以上の独創性に富んだ様々な元ワークスラリーカーを、最も初期のロング・ドアTR2とともに比べてみれば、この初期のプリプロダクションTR2は大きな重要性を持つ。これは、競合するスポーツカーマーケットにおいて販売で水を開けられていたMGとサンビームに対するブラックの挑戦だった。トライアンフの戦後最初のモデルは、トライアンフ1800/2000ロードスターだった。このモデルは、英国ではBBCのTVドラマでジャージー島の探偵ジム・ベルジュラックの愛車として知られ、鈍重で古臭く"お姑さんの席"と呼ばれるディッキーシートを備えたほぼ最後の量産車だった。2番目は、ほとんどの歴史家たちが少なくとも2台が存在することを認めた、20TSプロトタイプ(誤ってTR1として知られている)だ。これらリアの短いマンクステールのスポーツカーは恐ろしく軟弱なシャシーに、覇気のないヴァンガード製2リッターエンジンを積んでいた。このエンジン、試乗でプレスから容赦なくやっつけられた代物だった。

ここでリチャードソンがBRMから呼ばれた。最初のテストドライブのあと、彼は感想を述べた。「最低だ!」リチャードソンは製図段階まで後戻りして、プロジェクトに参加した。ハリー・ウェブスターがシャシーを改善、ルイス・ドートレイは頑丈なウェットライナー・ユニットから90bhpを引き出し、ウォルター・ベルグローブは、長くスマートなテールと実用的なトランクを持つボディをリ・デザインした。リチャードソンはそれらをテストしフィードバックした。

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation:Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words:Andrew English Photography:Paul Harmer

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