プリンス自動車のインサイドストーリ―第5回│プリンスが自作した1900スプリント

Kumataro ITAYA



かくして井上さんの本領を発揮する舞台は整えられた。井上さんがフランコ・スカリオーネに学んだ全てを活かす場が与えられたのである。1000㏄に満たない水平対向エンジンをリアにマウントするCPRBと、S5をベースに1900㏄の直列4気筒をフロントに搭載し後輪を駆動する1900スプリントでは骨格が全く異なっている。したがってCPRBのデザインをS5ベースに置き換える作業は、それ自体が既に創造力を必要とするものである。繰り返すが、CPRBと1900スプリントでは、車台そのもの、エンジンのサイズや型式、エンジンマウント位置、サスペンション形式、駆動輪、そして車両寸法などが大きく異なり、CPRBのデザインモチーフを尊重するとはいえ、CPRBから1900スプリントを生みだす作業は、ひとつのクリエイションといっても過言ではない。

井上さんは1900スプリントのデザイン作業にあたり、一から線図を引き直している。スカリオーネに学んだ線図を用いてデザインするイタリア的手法が活かされたのである。それだけではない、スカリオーネと共に過ごした日々は、井上さんが迷った際に、スカリオーネならどうしただろう、と素直に考え、その答を導くことを可能にしていた。蛇足ながら、現在でもこの時に井上さんが描いた1900スプリントの原寸大線図は遺されている。

デザインが決まれば、次は制作作業である。プリンスに、イタリアのカロッツェリアで行なわれている手作業を教えに来日していた4名のイタリア人職人達は皆、既にイタリアに帰国している。制作作業はプリンスの三鷹分工場に在籍する試作課の人たちだけで行なわれた。ただし、木型はイタリアでCPRBのためにつくられたものを極力活用している。そのため、CPRBの木型は1900スプリントが完成した時点で既に失われていたことになる。さすがに車両サイズも異なるので、両車の木型は写真で判別する限り、かなり違ったものになっている。

ここで1900スプリントの概要をまとめるならば、スカリオーネに師事した日本人、井上猛さんがデザインし、イタリア人カロッツェリア職人サルジョットに学んだプリンスの日本人職人達によってつくられたクルマ、それが1900スプリントなのである。

こうして生まれた1900スプリントだが、時の流れは速く、誕生した時点で既に自動車競技の主流は6気筒に移行していた。しかも、1900スプリントは流麗なフロントデザイン故に6気筒の搭載も難しかった。これが1900スプリントの命脈を断った主因である。

これから後、プリンスが行なうレースの主役はR380シリーズに代表されるプロトタイプに移行していく。R380シリーズのボディをつくったのも、1900スプリントを生みだしたのと同じプリンス三鷹分工場の試作課に勤める職人達だった。

これまで見てきたように、1900スプリントは日本人がデザインし、日本人がつくりあげたものである。もちろん、その日本人たちはイタリアに多くを学んでいる。学んだことをキチンと消化し、一台の美しいクルマに昇華したところに、1900スプリントの存在意義がある。

1900スプリントの美点はもうひとつある。それは冒頭にある1900スプリントが初披露された際の発表内容。デザインの視点でいえば、1900スプリントはランボルギーニミウラと同様のケースである。

ランボルギーニミウラのデザインは永らくガンディーニの作としてガンディーニ自身が公言してはばからなかった。当時のベルトーネがリリースしたミウラの写真にも、誇らしげにガンディーニがサインをしている。

ランボルギーニ社がミウラはジョルジェット・ジウジアーロのドラフトを基にガンディーニがデザインしたものである、と公式に認めたのは2001年のことだった。スカリオーネによるCPRBを下敷きにして井上さんがデザインをまとめた1900スプリントは、ジウジアーロのデザインをベースにしたミウラのケースと酷似している。

長らく行方をくらましていたフランコ・スカリオーネと再び連絡が取れたのは、1900スプリントの実車が完成した後だった。早速プリンスはスカリオーネの許に完成車の写真を送り、スカリオーネ作と謳うことの許諾を求めた。スカリオーネは1900スプリントの出来に満足しスカリオーネの名を使うことを快諾するのだが、ひとつだけ条件を付けている。それは、井上さんとの共作であることを明記すること。上述のミウラの例でいえば井上作としてもよさそうなところを、反対にスカリオーネ作としたいとのプリンスからの申し出。しかも愛弟子はスカリオーネの名に恥じぬ良い仕事をしている。スカリオーネはさぞ喜んだことだろう。

はかなく見事な散り際、そしてつくり手たちの控えめな立ち位置、プリンス1900スプリントは日本の美意識が結集した作品、なのである。

文:板谷熊太郎(Kumataro ITAYA)

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