ポルシェの特別な存在│途方もないパワーを持つ917/30

Photography:Matthew Howell



レーシングカーならどれも乗り込む際に独自の儀式みたいなものがあって、917/30も例外ではない。まず、パブのマスターがカウンターの一部を持ち上げて出入りするように、アルミのペナペナしたドアらしきものを引っ張り上げる。すると目の前にその幅たるや優に60cmはある平らな面が現われるが、それは紛れもなく燃料タンクである。
 
Can-Amレースのスタート時には燃料タン
クはもちろん満タンなのだが、917/30の場合、その量は400リッターにもなり、それがドライバーのまわりであふれんばかりになっている姿は想像するだけでゾッとする。このモンスターは1時間ちょっとというわずかな間に、抱えている燃料を平らげるのだから、1200bhpエンジンの大食漢たるや桁外れである。

また、917/30
の乾燥重量が800kgであることを考慮すれば、パワーtoウェイト・レシオがいかにすごいものであるかもわかる。これはまさにCan-Amが推進してきたマッチョな世界だが、考えてみれば、あとにも先にもこんなに一途に自由な発想と飛躍した精神でパフォーマンスを追求したレースレギュレーションなど、ほかにないのではないだろうか。
 
917/30を発進させるには重いクラッチを踏
み込み、右手でギアレバーを引いて1速に入れ、ブランズハッチのピットレーンを下っていくわけだが、これだけでも一生忘れられない体験だ。象徴的なブルー/黄色/赤のボディカラーに囲まれていることなど目に入らず、それまで気になっていた、両足が前輪の中心線より前方に突きだしていること、ステアリングラックがすねの真上にあることなど、もはや忘却のかなただ。

それでもなんとか視線をコクピット
の周辺にくれれば、917ならではのもろそうな構造がむきだしになっているのを目のあたりにすることになる。計器類は常識的な配置で、8000rpmにレッドラインの入ったタコメーターが一番目に入るところに置かれている。バルトは6000rpmまで回してもよいと言うが、万が一のオーバーレヴは水平対向エンジンが極端に嫌うために、そうならないようセイフガードがブザーで知らせてくれるのはありがたい。

おそらくそのあたりから2つのターボが本領を発揮し始めるのだろう。そこから上の領域はシロウトでは手に負えない。パニックを起こしたら終わり。だから自分のできる範囲で速く走らせればよいのだ。ステアリングは充分操作できる範囲の重さで、冷えたタイヤと凍てついた路面にもかかわらず、接地フィーリングは充分だった。4段ギアボックスはポルシェ・シンクロメッシュのおかげで大変扱いやすく、モンスターエンジンも上の部分を眠らせておけば低回転でも扱いやすかった。
 
途方もなく大きなパワーと、この世のものと
は思えない加速性能(0-100km/h:2.2秒、0-200km/h:4.5秒、0-300km/h:11秒)がこのマシーンのすべてといってもよいが、ターボが猛然と過給しないようにして最初の2、3周を乗りきれば、そのあとはなんとかなりそうだ。確かにこのようなマシーンに乗れば誘惑に負けて衝動的にスロットルを踏みたくなるものだが、そのような用心深さはこの場合、何より大事である。
 
異常に大きなターボラグがあるということは、
常にエンジンをある程度まで回していなければならず、アクセル操作をするならば、応答性のよいノンターボカーで踏むポイントよりも断然早いタイミングで右足に力を込めなければならない。多分に予測しにくいのだが、ブレーキング時にもこのことはあてはまり、スロットルをオフにしても過給は続いていくので注意が必要だ。
 


ブランズハッチ・インディ・ショートコース
は240mph(約386km/h)の速度を出すのは到底無理なサーキットで、4速を多用してブーストのかかっていない領域で走るしかない。フラット12の実力の一端を垣間見ようとするなら、グラハム・ヒル・ベンドとサーティース・ベンドの間の短い区間で3速までショートシフトするしかない。もっとスロットルを踏めば過給圧が上がり、エンジン音は硬質なものに変わっていく。と同時に後輪はトラクションを失ってしまうから、凡人ができるのはせいぜいこの程度なのだ。

限界までプッシュすることは龍
のしっぽを捕まえるようなもの。途方もない性能を最大限に発揮しようと躍起になり、やがてはドライビングへの挑戦に酔いしれていくのがせいぜいだ。ダナヒューは当時、誰よりも2秒も速く走り、1973年のCan-Amチャンピオンを獲得したのはそんな誘惑と魔法に打ち勝ったからである。彼が体験した栄誉のひとかけらでも感じようとするなら、917/30が特別なレーシングカーであり続けてきたことを理解しなければならない。そして、頭がよく感覚の研ぎ澄まされたダナヒューだけが、すべてを理解し、飼い慣らせたドライバーであることも。

文:オクタン日本版編集部、編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Richard Meaden 

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