空想上のユニコーン 夢と幻のマセラティ│3500GT コンバーチブル

Photography: Martyn Goddard

1950年代のプロトタイプをヒントに、造られることのなかった幻のコンバーチブルが完成した。希有な2台のマセラティに試乗する。

ここにマセラティ3500GTコンバーチブルが2台ある。どちらもトゥーリング製のボディだが、それぞれのバージョンには5年の隔たりがあり、世代も性格も異なる。とはいえ2台を並べてみると、トゥーリングのスーパーレッジェーラ工法で生み出された赤いシリーズ1の流れるようなラインが、アイボリーのシリーズ2へと進化していったことがよく分かる。だが、実はそう単純ではない。

トゥーリングはマセラティ3500GTコンバーチブルを正式には製造しなかった。つまり2台とも"ユニコーン"、空想上のモデルなのだ。シリーズ1はプロトタイプが3台造られたが、シリーズ2に至っては1台も存在しない。いや、しなかった。つい最近までは…。


 
複雑な話なので、まずは単純な事実から確認していこう。トゥーリングは3500GTのクーペを製造した。このクーペはマセラティにとって、戦後のどのソフトトップよりはるかに重要なモデルだ。というのも、マセラティは1950年代中頃にアルゼンチンで自動車以外の事業に失敗し、負債にあえいでいたからである。近隣では、レースでの好敵手のフェラーリが副業のロードカーで潤っていた。それを見てマセラティも、ロードカーの生産に本格的に乗り出すことを決める。
 
それまでマセラティもロードカーと無縁だったわけではない。親交のある一部の顧客にレーシングカーをドレスダウンして販売していた。だが、そのとき必要だったのは本物の金のなる木だ。そこでマセラティは高級スポーツカーに狙いを定めた。一般的なチューブラーフレームに、スポーツレーシングカーの350Sから派生したDOHCの3.5リッター6気筒エンジンを搭載し、他のコンポーネントはコストパフォーマンスの高い外国製を採用した。サスペンションはイギリスのアルフォード&オルダー社製(様々なモデルに流用されたトライアンフ・ヘラルドのアップライトの生みの親)。ブレーキもイギリス製、ステアリングギアとギアボックスはドイツ製、オプションの空調はアメリカ製だ(マセラティはエキゾチックカーにおける空調のパイオニアといえる)。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. )  Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Dale Drinnon 

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