消え去った「デ・トマゾの亡霊」モデナに残されていた遺産とその歴史を辿る

Diego Poluzzi




デ・トマゾ・ブランドの行方はその後もしばしば話題となったが、問題はロシニョーロ時代の負の遺産であった。800人あまりのワーカー達に対する雇用の保障も付いて廻っていたため、多くの出資者は二の足を踏んだ。その中でも遂に2015年、香港のアイデアル・チーム・ベンチャーがブランドを獲得した。そして、デ・トマゾ・アウトモビリ生誕60周年を迎えた昨年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにおいて、デ・トマゾ P72をデビューさせた。

新生デ・トマゾによるデ・トマゾP72


このP72は1960年代にデ・トマゾが北米とのコネクションを夢見て試作したスポーツプロトタイプP70へのオマージュであり、ポピュラーなパンテーラとは全くDNAを異なるものであった。それはアイデアル・チーム・ベンチャーが所有する別ブランド アポロIEのシャーシをベースにしたもので、99台の限定生産が謳われたのだった。 

P72プロジェクトにモデナのデ・トマゾ・ファミリーは一切関与していない。現在はアレッサンドロのアルゼンチン時代の子息であるサンティアゴ・デ・トマゾとアレッサンドロの夫人であったイザベル・ハスケルがファミリーを継承し、モデナのホテル・カナルグランデの資産管理を主として活動しているのだが、アイデアル・チーム・ベンチャーサイドとは全くコンタクトがないのが実情だ。

現在のデ・トマゾ・ファミリー 左)ハスケル、中)ハスケルの甥 右)サンティアゴ・デ・トマゾ


2014年にはモデナ市と共にデ・トマゾ・アウトモビリ生誕45周年イベントを開催するなど、デ・トマゾ・ファミリーには活気もあった。デ・トマゾのプライベート・ミュージアムやレストア、パーツのリプロダクションを行うサービス・ファクトリーの運営、生産証明の発行などのクラシック情報サービスなどのプランも聞こえていた。

しかし、前述のようにモデナも大きく変わった。地元のフェラーリやマセラティから独立し、その協力工場やアッセンブリーパーツなどのサプライヤーとなっていた面々も高齢化が進み、廃業も増えた。そもそも、世界の大メーカーの手によるパーツがモデナのスポーツカーの中にも増殖しており、今や地場の中小メーカーではコストやスピードなどあらゆる面で対抗が難しくなっている。サンティアゴ・デ・トマゾは2004年デ・トマゾ社の廃業に当たって、「もはや、モデナにおいて小さな独立資本が努力することで生き延びられるような時代ではなくなった」と発言している。モデナのスポーツカービジネスもそれからさらに10余年が過ぎた現在、その傾向はさらに顕著なものとなっている。

文:越湖信一

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