BRM V16エンジン|モーターレーシングの愛されるべき厄介者が甦った

Photography: Paul Harmer



復元

完成した4台(編集部註:Mk.1としては3台を製作との説もある)のオリジナルP15(Mk.1)のうち1台は、ケン・ウォートンがグローバー・トロフィーでクラッシュさせて全損し、部品取り車となった。アルビーのグランプリ・デル・アルビジョワでクラッシュした1台は、その後2台が造られた改良型(Mk.2)のP30のベースとなった。もう1台が今回、取材したマシン。ビューリーの英国国立自動車博物館に展示されている1号車のP15-151である。P30のうちの1台は、ドニントン・サーキットのグランプリコレクションにオリジナルのライトグリーンのボディカラーで展示されている。その横には、そのV16エンジンのカットモデルが並べられており、この精緻なエンジンの内部を覗けるだけでも、1ポンドのコレクション入場料を支払う価値は十分にあるだろう。これを見ると、私は「もしそこへ行きたいなら、私だったらここからは出発しない」と綴った、アイルランドの作家であり哲学者であるチャールズ・ハンディを思い起こさせる。すなわち、現在から未来を考えるのではなく、結果としての未来から現在の立ち位置を考えよということだ。

ゆくえ

V16エンジンをレストアするに当たって、最大の問題はこのシャシーナンバーP15-151のエンジンが絶望的に疲労していたことだ。ゆえにビューリー英国国立自動車博物館では結果を恐れて動かそうとはしていなかった。ビューリーで勤続45 年を迎えたワークショップマネジャーでチーフエンジニアのダグ・ヒルは、「ブリーザーからオイルの焼ける匂いが漏れていた。つまりかなり疲労しているということだ」と語っている。

毎年9月に、グッドウッドで開催されるのリバイバル・ミーティングでは、古い車や航空機の保存活動を行う団体へのチャリティ募金を行いているが、2014年はナショナル・モーター・ミュージアム・トラストが寄付を受けることになり、その対象がBRM V16 P15 に決まった。そのため、BRMV16はこの日がエンジンレビルト前の最後の走行となった。またビューリーは、BRMチームを1952年から74年まで所有・運営していた、起業家アルフレッド・オーエンが率いるオーウェン・オーガニゼーションが援助していた。レストアにあたって、最後の問題は資金だったがそれが解決したわけだ。

P15は、リンカーンシャー・ボーンのレストレーションスペシャリスト、ホール&ホール・エンジニアーズへ送られた。それはオリジナルカーが生まれたBRM 本社のすぐ近くで、この難しいエンジンへの情熱を未だに持ち続けている元BRM スタッフが多く在籍している。こうしたエンジンを分解して組み立てるためには、それを本当に理解している人物が必要だが、その心配はない。ホール&ホール エンジニアーズはこの分野での世界的なスペシャリストで、現存しているすべてのV16 の面倒を見ていて、しかも新品まで造ることができるからだ。

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編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation: Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words: Paul Hardiman 

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